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真実は体が直感する、背中占い

幽霊は存在するのか、しないのか。たいていの人は幽霊は人間の作り話だと思っているだろう。ところが実際に遭遇したという人は極めて具体的に、いつ、どこで、誰の幽話がどのようにした、 と語っているし、またその口調は妙に確信に充ちている。

幸いにして幽霊なら私も一度、はっきりとこの目で見、声も聞いたので、 その時の模様を述べよう。

私が学生であった、ある冬の夜、午前二時頃であったと思う。眠っていた枕元に人の気配がして私の名前をしきりに呼んでいる。 その声はとても苦しそうで、弱々しい。名前を呼んでは「ウー」 と呻くのだ。ぼんやりしていた私の頭が次第にはっきりとしてきて、これはてっきり姉だと思った。姉が夜中に苦しくなって私を起こしに来たのだと理解したのだ。

目を開くと姉が私の顔をのぞき込むように近づいていてい る。私は思わず「どうしたの?」と尋ねた。そのとたんに、白 い姿はスーッと遠のいて消えていったのである。

これは幽霊だ、と背筋がゾッとした。はっきりと姿を見たのは事実だし、声だって耳に残っている。今のは一体何だったのか。私は起き上がって考えることにした。

結論はこうである。当時私は風邪気味で興を詰まらせていた。従って口を開いて息をしていたから寝ている時に、気管支のゼーゼーという音がしていた。それを姉の声だと錯覚したのだ。

目を開くと姉がいたというのは、目の盲点のせいである。眼球の奥には視神経がつながっていて、 光を感じない部分がある。この盲点のために私たちは目で見ていても、風景はどこか一部分が白っぼくなっている。寝呆けた目を開いた時、暗い部屋の中ではこの白いモヤモヤの部分は大きい。

てっきり姉だと信じて目を開けたから、モヤモヤを人間の姿だと見てしまったのだ。次に私は声を発した。すると気管支のゼーゼーは当然、音がしなくなるし目の神経も急速に働き始める。モヤモヤがスーッと消えたのは、目が暗がりをはっきりと見たからだ。

つまり私の見た幽麗現象は、頭の中で作られた主観的なイメージと、体で感じられる客観的な感覚とが合成された結果である。他にももっと別の原理で幽霊が現れるかもしれないが、少なくとも私の遭遇した現象は充分起こりうることである。また私の一生でも一度きりのことであるのかもしれない。

私はそれまでは幽霊の話などバカバカしいと一笑に付していたのだが、このことを経験してからは、心霊現象などの話も真正面から受け止められるようになった。そして自分なりに、その奥に潜む客観的事実や科学的根拠を探ることに、興味を持つようになった。

ボディートークの「背中占い」についても、幽霊の話と同じく初めは半信半疑の人が多い。

「背中占い」とは背中のしこりを触診して心の問題を知る方法である。
初対面で、何の予備知識もない、ある大学の医学部教授の背中を触った時のことである。私は三十秒ほど指を軽く走らせてから、こう言った。

「あなたは最近、大きなイベントを終えてホッとしていますね。肩の荷を下ろした状態が胸椎一 ・二番に表れています」「また、部下に一人、とても扱いにくい人がいて、そろそろ決着をつけなく ては、と考えています。」

「それは胸椎七番の右にしこりとなって出ています。」
それに対して大学教授は真顔でこう答えた。
「驚きました。そのことは二つとも当たっています。しかし背中を触ってわかるなどということを、私は信じませんね」

借金のしこりが首の付け根に出て首が回りにくくなること や、失恋のしこりが胸椎三番に出て肩身を狭くすることなど を、私は人の背中を触ることで経験的に知った。そして様々な心の問題が、その悩みの種類に応じて体にそれなりのしこりを作ることを私は確信している。

真実は先ず体が直感する。その真実は経験的に確かめられている。心と体の具体的な結び付きが、やがて医学的にも証明される日がきっと来るだろう。