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生命は3つのイメージで弾む

<ふんわり、すっきり、しっとりと>

「ふんわり」は人に接する第一歩 
私たちは生命に対してまず「ふんわりと」接しなけれ ばなりません。生命とは生まれたばかりの赤ちゃんのように、元々柔らかいものなのです。
「ふんわり」は「ふわっ」というふくらみや、弾力のイ メージを強調した言葉ですが、古代日本人は母のことを 「ふぁふぁ」と呼んだそうです。その響きが、やがて「は は」となるのですが、太古の昔から母は柔らかくて温かい存在であったのでしょう。

赤ちゃんを抱く母の手のように柔らかく、温かく、穏やかなタッチは「ふれあい」の大原則です。初めて出会って、いきなり固い握手なんかをされますと、ズカズカと心の中に入り込まれそうで、何と乱暴な人かと思ってしまいます。

日本のビジネスマンは、固い握手でないと握手ではないと思っている節が見うけられますが、契約が成立をして喜びを表現する時ならともかく、これからお近づきになろうという時は言葉も態度も「ふんわり」を第一原則としたいものです。

●「すこやか」とは流れがいいこと
キー・タッチを「ふんわりと」始めたら、次は「すっきりと」行う。「すっき り」とは「すこやか」ということばから生まれました。その語源を探ってみましょう。
「健康」という文字は漢語ですが、古来、日本人はヤマトコトバで「すこや か」という素晴らしい表現を持っていた。「すこやか」は「すくやか」という発音 が変化したものですが、それでは「すくやか」とは、もともとどういう意味だったのでしょうか。 まず、語尾の「やか」。これは接尾語といって、良い意味の言葉を強調する働きを表しています。

例えば、「さわやか」「しなやか」「にこやか」「にぎやか」などなど。 「やか」の付く言葉は全て良いイメージです。
従って健康という意味は「すく」の中にある。「す」「く」とは「素」「来」、即ち「素が来る」ということです。

「素」というのは織物のタテ糸のことである。タテ糸が、もつれないで真っ直ぐ に垂れている状態を言います。「素が来る」というのは、沢山のタテ糸が、もつれないいで、きれいに垂れていること。そうすると「ハハーン」と思いあたることがありますね。

髪の毛にクシを入れてもつれをとり、きれいに整えること。 畑を耕して、ウネを造ること。 すべて同じ語源です。さらには「空く」というのも、もつれや余計なものがなくなる、というように発展して使われるようになったのである。「スーッとした」と、言うのも、つっかえていたものが流れて通りのいい 「素」の状態になったことだし、「スクスク伸びる」というのもあれこれ問題をかかえないで順調に 成長するということで、「すくやか」の「スク」です。

私たちの祖先は「健康」の本質を見事に言い当てていたのです。 すっきり、しっとり、にっこりなど。従って、「すこやか」とは、何のもつれもなく、 流れの良いこと、の意です。血液、体液の流れが良く、また消化や排泄がスムーズであることなのです。 WHO(世界保健機構)では「健康とは、単に疾病や傷害がないというだけに留まらず、身体的にも、精神的にも、そしてまた社会的にも安寧な状態をいう」と定められています。

「健康とは、体や心はもとより、 社会生活に於ても流れが良い状態をいう」 と言い換えることができるでしょう。
この「すこやか」から派生した言葉が 「すっきり」です。「ふれあい」に余分 なことは要らない。その時々に何が大事かを整理し、必要なことを必要なだけ行えば 充分なのです。(次号につづく)