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恐がるのもひとつのチャンス

お化け大会がキッカケに表現の道がついた Iちゃん

毎年8月には2泊3日の子供ミュージカル合宿を行っています。 子供たちは広い体育館で一日中 歌い、踊り、夜通しおしゃべりに花が咲いて、気 がつくと夜明けけ、という元気いっぱいの内容です。

その中でも子供たちが楽しみにしているのが、 お化け大会です。 お化け役の中高生たちは夕食もそこそこに森へ準備に出かけます。 火の玉がとぶ仕掛けや、おどろおどろしい飾り付け、髪の毛をふりみだしたユカタの女おばけに蛍光色のお面をつけた走るユウレイ等々、 いろんなアイディアが盛りだくさんです。

外が少し暗くなった頃に、他の子供たちは懐中電灯と虫除けスプレーを持ってスタート地点に集合します。 そこで全員の懐中電灯を集めます。「ええーっ、 真っ暗の中を行くの?」と叫び泣き出す子供もいます。

何しろ森の一本道は明かりが全くないので道の区別すら つきません。そこで懐中電灯を道端に置いていって道しるべとするのです。

三人ずつ三分間隔で出発しますが、 先に私が怪談をし「骨と皮の女」の歌を聞かせてムードは作ってあります から、もう泣きながら出掛ける子供もいます。 あんまり恐がる子供はオンブしていきますから、リーダーのお姉さんたちも大変です。
ある年、 こんなに子供を恐がらせるのは良くないのではないかと考えました。 お化け大会はもうこれっきりにしよう。 私は気の進まないまま、スタート地点で子供 たちを送り出していました。

その中に小学5年の1ちゃんがいました。 Iちゃんは1年生からずっとミュージ カルに出演をしていましたから、 お付き合いは長いのです。 しかし、 人前ではほとんどしゃべりません。 しっかり者なのですが、 舞台での表現はあるような無いような、無愛想に突っ立っているという感じです。

ところがその夜は様子が違っていました。 一緒に出掛ける友達と 「お化けなんか恐くないもん。 やってきたらたたいてやる!」と強い口調で言い合っています。 その声は恐がってビクビクなのですが、 必死に強がっているのがほほえましい。

あとでお化け役に聞いたのですが、 I ちゃんたちは大声で歌いながらやって来て、 ギャア ギャア叫んで、 すごい反応ぶりだったようです。
すると翌朝のミュージカルの練習で1ちゃんは変身しました。 積極的に声は出す し、踊りもよく動けているのです。

いつもは後ろの方で踊っていたのですが、 どんどん前に出てきます。 これはお化けで心がふっ切れて、表現の道がついたな、と直感しました。

Iちゃんほどの変身ぶりでなくても、気が付くと自分を出すようになっている子 供たちがちらほら見うけられます。 お化け大会のいい意味でのショックを契機として、互いに親しくなったり、ふざけ合ったり、言いたいことが言えたりしてくるのです。こういう子供たちのためにお化け大会も大きな意義がある、と私は考え直しました。

表現の道は何をきっかけとして生まれてくるのでしょう。 人にもよりますし、時期もあります。 しかし表現の道をつけようと意識すれば、 チャンスは幾らでもあるものです。ただ偶然を待っていると、 そのうちに人生は終わってしまうかもしれません。 少しだけ積極的に行動をしてチャンスをものにしたいですね。

ボディートークでは声を出しながら体の内部を揺することを原則としています。 ところがふと気付くと声が止まっている人が多い。 これは精神的なところに起因しま す。声を出すと自分の内部が表れるのです。 正体が出てしまうのです。 それで無意識の中で口をつぐんでしまう のです。

日頃から自分を隠そうとしている人は、無意識に息をつめています。 詰めているから気楽に声が出せない。 パーティなんかでゲーム的にボディートークを行うことがあります。

そうすると、 格好をつけている男性は「こういうことは苦手でね」 と会場をそっと抜けます。 特に人前で胴ぶるいなんかをすると格好がつけられなくなるからです。まして 「アー」と言いながら行う と心まで丸裸になる感じがするのでしょうね。

表現の道はつけなくても生きてはいけます。 しかし折角授かった一度きりの命ですから、私は充分に心も体も頭も活かして創造的に生きたいと思っています。 ボディ ートークはそのような弾む生命の中から必然的に生まれてきたのです。 表現の道へ のチャンスを逃がさないためにも、声を出しながら体を揺することを是非心掛けて下さい。