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嬉しい涙には魔法の力?

悲しみの涙くん サヨナラ

 ♪ 涙くん  サヨナラ  サヨナラ涙くん また逢う日まで

     君は僕の友達さ  この世は悲しいことだらけ

       君なしではとても  生きていけそうもない  ♪

これはずいぶん昔のフォークソングですが、人は誰しも人生の中で幾度かは、この歌のように “悲しみの涙くん” と過ごさなければならない時もあるようです。でも一度っきりの人生、出来ることなら嬉しい涙にあふれて人生を歩きたいものです。今回は、悲しいことや辛いことがあっても、決してあたたかい心を失うことなく、夢に向かって歩いていこうと教えて下さった、二人の恩師についてのお話しです。

* あたたかい心が蘇る作品

故、佐野至先生は、教育者でもあり、また朝倉が誇る素晴らしい版画家でもありました。ふるさとを愛された先生の作品は、今も地域の至る所に残されています。甘木川の橋の欄干の飾り模様、旧跡、秋月の観光案内としての石版画、いくつものお寺の天井画や壁画、また朝倉の山田インターチェンジ、サービスエリアにある大きな大きな石版画<三連水車と子どもたち>などなど….。

それらどれにも描かれているのは、懐かしいふるさとの情景と、ほのぼのとしたあたたかい人の姿。ジッーと作品を見つめていると、戦前戦後の時代にはあった自然や生活の音や、人の声がどこからともなく聞こえてきます。赤ちゃんの時に抱かれた母のぬくもりまで蘇ってくるようです。

* 歩く道を照らしてくれる

至先生は、、広瀬淡窓(江戸後期の教育者)の流れをくむ教育を受けてこられた方で、ご自身も日本文化に誇りを持つ子どもを育てたい、という夢をかけて、佐野塾を開かれました。そして、私も中学一年生の時、門下生として入門を許され、単に学問だけでなく、人としての生き方を先生の後ろ姿から学ばせていただきました。社会人になってからも、自分の道が見えにくくなった時は、まず先生にお会いすることにしていました。

「あ~、アッコちゃん、よく来たね、元気やったね?」と、あたたかい声の独特の甘木弁でいつも迎えて下さるのでした。版画がかけてある部屋に入られると、ゆったりとソファーに腰を下ろされ、さりげなく先生の世間話しが始まるのです。

お話しを聞いているうちに、自分の心の中にあった悩みやわだかまりが、いつのまにか霧が晴れたように、スッーと消え、自分の歩く道が、おのずと明るく見えてくる、そんな先生でした。

私が33才のころ、アキコダンスファミリーを立ち上げることになったのも「アッコちゃん、やってみてごらん」の先生の励ましの言葉があったからこそ。それからは、いつもニコニコと、舞台作りのひとつひとつを、手取り足取り教え、支え続けて下さったのです。

* 二人の師に見守られて

その舞台が11年目を迎えようとした頃に、もう一人の師、増田明先生に出会えることが出来ました。ボディートークをベースとした、教育的にも芸術的にも高い内容の明先生のミュージカルが、甘木、朝倉で上演することが出来ました。誰よりも喜んで下さったのも至先生でした。

二人の師に見守られながら、私は自分の生まれ育ったふるさとで、夢のような幸せな舞台活動を続けることが出来ました。❝ふしぎの国のアリス❞に出てくる大イモ虫、手押しオルガン、ピーターパンのインディアンの盾などは至先生の舞台芸術としての作品です。

* 作品の奥に流れている熱い熱い想い

明先生と出会ってからは、私の舞台にはバレエ作品とともに、毎年ミュージカルもプログラムに加わることになりました。そして気づいたのです。至先生と明先生の作品の奥には、熱い熱い人間愛、しいては生命愛が山ほど内臓されていることを。だから両先生の作品に触れると、誰もの心があたたかくなり、自分も自分の周りの人も、みんな大好きになり、元気いっぱいになるのだと。

数年前の福岡でのミュージカルは「オズの魔法使い」でした。今まで以上に、とびっきり楽しく、喜びにあふれる演出の作品でした。「嬉しい涙には、魔法の力があるって、おばさんが言ってたわ」これはドロシーのセリフです。この言葉通りに喜びの涙によって魔女のイヴリーンの悪い心が洗い流され、青い鳥へと変身していきます。そして、美しい虹のかかった大空へ青い鳥は飛び立っていくというストーリーです。「いいねぇ みんな仲良しで! いいねえ いっぱいの喜びで!」至先生の優しい声が聞こえてきそうです。

数年前に九州北部を襲った豪雨の被災地、朝倉が嬉しい感動の涙に包まれ復興していきますようにとの願いを込めて上演させて頂きました。




♪ちっちゃな私の花時計~♪

* ご機嫌ほぐしの時計

♪ 大きなのっぽの古時計  おじいさんの時計

    100年いつも動いていた  ご自慢の時計さ

  おじいさんの生まれた朝に  買ってきた時計さ

    今はもう動かない  その時計 ♪

明先生発案の、ご機嫌ほぐしの<大時計>は、まず胸の前で赤ちゃんを抱くような姿勢を取ります。次に両手のひらでソッと両肘を包み、時計の振り子が揺れるようなイメージで、この歌に合わせて動きます。動きの途中で「ボォーンボォーン」と発声しながらの胴震いも入りますが、太く、ゆったりとした温かい息で歌うと、まるで温泉に入っているような心地よい気持ちになっていきます。

「歌は語るように、セリフは歌うように」と、明先生はおっしゃいますが、心を込めて、語るように口づさみながら大時計の動きをすると、不思議に昔のことが思い出されます。

私はおじいちゃんっ子でしたから、♪おじいさんの時計~♪のフレーズになると野花の咲く田舎道を、祖父の背中におんぶされて歩いていた感覚が蘇ってきます。みなさんの大時計の思い出はどんなものですか?

* 日直の日はご機嫌

私の生まれた昭和20年代は、戦後のベビーブームで団塊の世代と呼ばれるベビーが次から次から生まれ、国中に子どもがあふれていました。そのころ小学校の先生をしていた母は、私がまだ眠っている早朝に出かけ、帰宅するのは夜遅くという毎日を送っていました。母と顔を合わせることが出来るのは、唯一、日曜日だけ。ですから当番制の日曜日の日直には、私も一緒に連れて行ってもらっていました。

小学校はマンモス校で、海外視察までして創ったと言う、今でも建築物として高い評価を得ている、美しく立派な校舎でした。何棟もある校舎の中央は大ホールとなっていて、小さな展示会も催されていました。

広くひっそりとした休日の廊下を歩くと、足音が響きぞくっとするくらいでした。二階につながる広い階段は、映画「風と共に去りぬ」で観たレッドパトラーがスカーレットオハラを抱きかかえ、一気に駆け下りるシーンに出てくるようなオシャレな建物でした。

階段の途中に、左右に分かれるためのスペースとなっていました、その中央の柱に大きな柱時計がかけてあったのです。時間になると「ボォーン、ボォーン」と誰もいない校舎中に響き渡っていきます。「いいなぁ~」その音を私は一人占め。いつもは母のクラスの生徒さんに取られている母も一人占め。それに一人占めの図書館で好きなだけ本を読んだり、一人占めの音楽室でピアノを弾けたり御機嫌いっぱいの日曜日でした。

その学校に母は10年近く勤務していました。私は赤ちゃんのころから、日直の毎に大時計に出会っていたわけです。その大時計もひょっとしたら100年休まず動き続けていたおじいさんかもしれません。

母の生命の時計もずいぶん古くなっていて、今は92才。日々認知症が進行しています。でもデイケアで「城石先生!」と呼ばれると、パッと表情が晴れやかになります。すると再びネジを巻いてもらった生命の時計がチックタック、チックタックと動き出します。すっかり昔の時代に戻って、周りの若い人たちは、みんな自分のクラスの生徒さんたちに見えてくるのです。その頃が母の人生の中で一番充実して輝いていたのでしょうね。




ポカポカ スクリーン完成

オフロの中で赤ちゃんになろう

♪ いい~湯だなぁ~ いい〜湯だなぁ~ ♪

と鼻歌が出てきそうになるのは、寒い冬の日、体の芯まで冷え切って帰宅し、 お湯をいっぱいに張って、湯船に入った時。 ほーっとするその心地よさは何と も言えませんね。 そんな時、「 あ一日本人に生まれてよかった」と思われませんか? 世界の中でも日本のように水が豊富で、毎日オフロに入れる国なんて、 そうそうありません。

湯船に入った時の私たちの姿勢は、赤ちゃんがお母さんのお腹にいた時の姿勢にそっくりです。ですから「毎日、羊水の中の赤ちゃんに戻れている?」 時間がある日本人には、おだやかで優しい心が育ちやすいのかも知れません。

私がかつて New York で毎年数か月を過ごしていた頃、ホテルの浴槽に浸かるのが怖くて、 (New York ではエイズ患者がウヨウヨですから、何となく気持ち悪くて)シャワーだけにしていました。

一日中大好きな踊りを踊って過ごせて充実していたのですが、どことなく心淋しさがあり、それが何故なのか分かりませんでした。 そして帰国して、自宅のおフロに入った時、「あ~幸せ!」 と心の奥から嬉しい気持ちが涌いてきて、「あ~、 これだったんだ、 私の淋しさは」と分かったのです。
あたたかいお湯に包まれての安心感がこんなにも大きいとは思いもよらな い事でした。

* 羊水感覚の環境づくりーふんわりと繊細に

エンゼルハンズのセミナーでは、 「羊水感覚の環境の中で、 生命は育まれる」という視点で五感を磨き、心と体をふんわりと育んでいこうというプログラムがいくつもありますが、これは特に赤ちゃんや生命が繊細になっている人 たちと接する時には、大いに役に立つものです。

でもそんなことを、ことさらに言わなくても、すでに無意識レベルで五感が磨かれていく自然環境や生活習慣が、日本にはたくさんあるのはありがたいことです。

例えば≪触感≫ひとつとっても、入浴の習慣や素足で畳というやわらかい 床の上で寝起きすることなども、他の国に比べるとより繊細な感覚が育ちやす い環境と言えますね。 せっかくですから自分の持っている感性に磨きをかけて いってみたらいかがでしょう?

服の素材や色を選ぶ時、 ≪おだやかな心を育てるには、どんなものがふさわしいのかな? ≫ って、 ちょっと意識するだけでも、羊水感覚の感性が身についていくかも知れません。

* スクリーン完成

明先生がミニ・ミュージカル 「月からきたうさぎ」の舞台背景としてのスクリーンについて述べていらっしゃいましたが、 遂にその スクリーンが完成しました。 巾10m、高さ2m50cmのオフホワイト (淡い乳白色)の綿素材の布の真ん中に、1000年生き続けた大きなブナの木が、 緑色の葉っぱをいっぱいつけて立っています。 それを囲むように、さわやかな 色とりどりの木々たちが立ち並ぶ森です。

このスクリーンを始めに見たのは、2月の宿泊セミナーでした。 会場にスク リーンが立体的に広げられると、「ウァ~!」と私は思わず声をあげてしまい ました。「何てあったかくて、やさしい森なんでしょう!!」 よく見ると木の葉の1枚1枚が、一針一針縫われています。 布地にペインティングしただけで なく、とても手のかかった作品です。

この物語の後半で、ブナの老木は自分の生命の限りを尽くして風を起こし、 人間から殺されそうになる金の小うさぎを月へ帰してやり、死んでいきます。 力を使い果たし枯れていくシーンは、ブナの木 の布がスクリーンから上手くはずされ、下へ落ちていくよう工夫されています。

悲しむ森の仲間たち。 (森のうさぎ、オオカミ、キツネ、シカ、 鳥、木の精)
でもその枯れた木のすぐ傍には、 新しいブナ の小さな若い芽が吹き出し、 スクスクと伸び始めています。

この感動シーンは、卵色の布に画かれたグリーンの若葉が少しずつ上へ伸びて行くように仕掛けがしてあります。 布地の持つ独特のやわらかさが、このストーリーのイメージを更に膨らませていきます。 (秋の風景、 月の光、雪のシーン、 大風が舞うシーンには、セミの羽のように透明でやわらかい5mの色ゴースが風に揺れ動きます)

≪ポカポカスクリーン≫

このスクリーンのアイディアは、もちろん明先生。 そして制作は、去年、 ミュージカルアラビアン・ナイトでかわいい赤ちゃんラクダを作って下さっ た、岩井るり子さんです。 他にも、ボディートーク協会の長岡さんや、 娘のちえちゃんや、ボデートークの仲間たちが一緒になって、一針一針縫いながら出来上がったものです。 そして岩井さんも長岡さん (一月に初孫誕生)も、目の中に入れても痛くないお孫さんが生まれられてからの作品です。

親、子、孫と三代に渡ってボディートークが受け継がれている仲間たちで、作成されたこのスクリーンを背にすると、どことなく背中がほんのりポカポカ してきて、体中があたたかく包まれていく感覚になります。

まるでおフロの 中に入っている様です。 そして私はふっとこんなことを思いました。一昔前までは、うまれてくる赤ちゃんの産着やおしめは、母親やおばあちゃんが一針一針、 その誕生を待ち願い縫ったもの。 貧しい時代だったけれど、私もそういうあたたかい想いに包まれ、 生まれ、育てられたのだと。 だから今 の私があるんだなぁ~って・・・。

手のぬくもりが添えられ、 熱い想いで生命のあたたかさを伝えていくって 素敵だなって。 (今は産着もおしめも市販のものが使われています が…)

いよいよ本番間近が、 広島の庄原の500名の園児たちが、この≪ボディ トークの森のスクリーン≫に包まれ、 どんな心を膨らませてくれるでしょ う。ワクワク、ドキドキです。

そしてこの、「月からきたうさぎ」のミュージカルを、 1月29日、100 才で天国に召されていかれた、 増田明先生のお母様 (増田美和様)に、心か ら感謝を込め、 捧げながら、演じさせていただきました。




たんぽぽの綿毛がそよ風に舞う

* たんぽぽの綿毛が風に舞う

「アッ!見つけた!」と近寄り、 そっと手に取ったとたん、あっという間に フウァッフウァッ と、たんぽぽの綿毛が風に舞い始めました。 何だか嬉しくなって、両手を舞い飛ぶその綿毛にかざしながら、 私はいつの間にか春の野を走っていました。

こうして無心に遊んだ幼い日。今もふんわりとした感覚が、 思い出とともに体によみがえってきます。

≪ふんわり ≫ のイメージは
人それぞれでしょうが、 太陽にたっぷり干したフカフカの お布団とその匂い、 祭りばやしを聞きながら口いっぱいに頬張ったフカフカの綿菓子など、どれもイメージするだけで心がほんわと和むものが多いですね。

≪おばあちゃんの手はイヤ?≫
最近、私の知人達から次々に「初孫誕生」のニュースが報告されます。特に初孫ともなれば、 可愛さ余って“さぁ~、これからいよいよボディートークの赤ちゃんほぐしの出番” と張り切ってしまうのは、当たり前のことなのでしょうが…

「抱っこしている時はニコニコしているのに、 ちょっと体ほぐしをしてみようと背骨に触れると、 イヤッ! と言わんばかりに、 すぐに私の手を払いのけようとするのよ。とってもやさしく、ふんわりと触れているはずなのに・・・ と、悲しそうな新米おばあちゃんのK子さん。

「それはね。 その時、赤ちゃん の背中がどうなっているか知りたい、 探りたいという気持ちばかりが強く働きすぎていたからじゃないのかな?」と尋ねると、「うーん、確かにその通りか も?・・・」との答え。

「でも、どうすればいいの?」と悩んでいるK子さんに、≪赤ちゃんを抱く手≫の5つのパフォーマンスのうちの一つ、 〈包む手〉の ご紹介をしてみました。

《赤ちゃんを抱く手包む手》
1  二人組になります。 Aは赤ちゃん役、 Bはお母さん役です。

2  Bは両手をしっかりとすり合わせ、暖かい手をつくります。

3  BはAの左横に座り、 自分のオヘソをAの体側に直角方向に向けます。

4  Bは暖かくした左手を、Aのウムネ(おっぱいの少し上のところ)にそ っと当てます。 右手は、左肩甲骨に触れます。 Aの体全体を両手ですっ ぽりとやわらかく包み込むようなイメージで、軽くAの体をゆすりなが ら暖めていきます。

実験  その1
BはAを〈私がいるから大丈夫。 しっかり包んであげる よ〉というイメージで暖め、 ゆすります。

実験  その2
Bは、今度は赤ちゃん役になったつもりで、〈お母さん、 大好き~〉と、 赤ちゃんがお母さんにたっぷりと甘えるようなイメージで、自分の体をAに寄り添わせながら、Aの ウムネと肩甲骨を包み、 暖め、 ゆすります。
5 1~4までを、 A B 交代して行います。

結果
·
実験その1 その2 を比較すると、その2の方がやわらかく、 暖かく、ふんわりと体全体が包まれた感じがします。たんぽぽの綿毛をゆらす風のように、このパフォーマンスを体験すると、❝やってあげる❞というイメージを持つ だけで、時としては、相手に圧迫感を与える強さとなって伝わっていることもあることが、お分かりになられると思います。

反対に、 赤ちゃんが無心にお母さんに甘えて抱っこされる時、抱いているお母さんは、 実は赤ちゃんから、あ ったかいふんわり感覚をもらっているのだ、ということにもお気づきになられるはずです。赤ちゃんの心や体は、大人より更にやわらかで、繊細で、敏感なセンサーが働いています。ですから、さり気ない≪たんぽぽの綿毛をゆする春 風のような≫タッチが、 赤ちゃんは大好きなのです。
♪ 誰が風を 見たでしょう 私もあなた も見やしない
   けれど木の景をふるわせて 風は通りすぎてゆく ♪

と、この歌にもあるように、色も形も見えないけれど、 いつもそっと傍にいて、 やわらかく心を受け止め、 包み、ともに共鳴してくれる風のような存在。 そん な風のような存在に変身できれば、赤ちゃんとのお付き合いも、よりスムーズ になっていきます。

その第一歩として、今日からまず 「フウァ~ッ」といいながら、春の風のように歩くこと、 動くことから始めてみられたらいかがでしょう。 そして、その風の手で赤ちゃんの背中に触れてみて下さい。 きっと赤ちゃんは、これまでに 見たこともないような幸せなほほえみをあなたに見せてくれるはずですよ




自発的なコーラスのすごみ

* 生徒が与えてくれた感動 

四十年近くも前のことなのに今も私の耳にしっか りと聞こえてくる歌声があります。 高校三年生のあるクラスが合唱コンクールで歌った「出発の歌」です。もう一度、聞いてみたいコーラスは? と 問われれば、私は迷わずに彼らの演奏を挙げるでしょう。 

当時、私は島本高校で音楽の教師をしていまし た。一年生の担任だったのです。 秋には生徒会主催の合唱コンクールがあり、 各クラスで自由に一 曲を選んで発表をする行事がありました。 まず 学年毎にコンクールをして一位を決め、 文化祭で学年毎の代表として、父母にも披露するのです。 ところが、 我がクラスは練習になかなか取り組もうとせず、仕方がないので私が混声四 部合唱「バスの歌」を提案し、 ボール紙で作った吊り革を全員が持って、クラスみんなで一斉に傾いたり、歩いたりして歌うことになりした。 

放課後の15分程練習に当てるのですが、 担任が音楽の先生だと、 少しずつ いい感じでまとまってきます。 その評判を聞いて三年生のあるクラスが対抗意識を燃やしました。 音楽の先生なんかに負けるものか、とクラスが一丸となって「出発の歌」を練習し始めたのです。 

コンクールの数日前に、そのクラスから私のクラスに、 お互いに聞き合うた めの交歓会を開きたい、という申し出がありました。 もちろんOKです。 私のクラスは三年生と言えども恐れるに足りず、 と悠然と構えていました。 コンクールを目前に控えて、 私も放課後の練習に熱を入れていましたから。 

交歓会では私のクラスが先に歌いました。 軽妙なリズムに乗って、 吊り革を片手に、楽しく揺れるコーラスです。 神妙に聞いていた三年生の口から溜息が漏れています。 次に彼らのコーラスです。 女生徒を真ん中に、 男生徒が両端に横二列となって緊張の面持ちで歌い始めました。 

「乾いた空を 見上げているのは誰だ」 斉唱でやや重く、 押さえた表現です。 

ですが、私の指導する音楽の授業では聞くことのない底力が感じられ、 ハッと息を飲まされました。 そして後半「さあー今、銀河の向こうに飛んでゆけ~♪」 と二部合唱になってクライマックスへと盛り上がります。 聞いている一年生の 目が一斉に見開きました。「ウワァー、ステレオみたい!」 と、 ある男の子はつぶやきました。 「すごい!」 女の子たちはうっとりです。 

教室全体がビリビリと振動する迫力だったのです。 生命がほとばしる、とでも言うのでしょうか。 こんなにも生徒が一体となって、 一生懸命に、 ただひたすらに全身を声にして歌っている! 私は未だかつて、こんなに感動的なコー ラスを経験したことがありませんでした。 いよいよ最後に一人の男子生徒のオブリガートが力強くかぶさって、 雄大な広がりを感じさせながらコーラスは終わりました。 

私の目には涙があふれて、 しばらく声も出ませんでした。 生徒達が本気になっ て自主的に取り組んだ演奏のすごさを目の当たりにしたのです。 私が全力を つくして指導してもやり得ないコーラスの素晴らしさを、 生徒達の力でやり遂げたのです。 脱帽の思いと同時に、この瞬間に立ち会っている我が身の幸せを深く味わいました。 

* クラスのすご味 一丸となって 

生徒達が与えてくれた感動はその他にもいろいろありますが、 忘れ得ぬもうひとつのシーンは、 前任校である三島高校を去る日の出来事です。 

転任をする先生のために、 送別式が行われました。 体育館に千名ほどの生徒が座り、壇上では送られる先生が次々と挨拶をします。 その中で私は最年少でしたから最後に立ちました。

話し終えて、 生徒達に 「ありがとうございました」 と頭を下げたとたん、 ピーと口笛が鳴りました。 それを合図に、女子生徒や男子生徒がカーネーションを一輪ずつ持って「ワー」と叫びながら壇上へ駆け上って来ました。 静寂を打ち破っての一瞬の事なので「何だろう」 と思う間もなく、私は花のプレゼントと女生徒の群れに、もみくちゃにされてしまいました。

担任をしたクラスの生徒達からの別れのパフォーマンスだったのです。当日の朝にクラスで相談したのだそうです。 女子生徒は私に花を、 男子生徒は他の先生たちへ花のおすそ分けを、という粋な演出です。 生徒達の発想の大胆さと、 いっぱいの真心に、 こんなに幸せでいいのだろうか! としみじみ教師をして いて良かったと思いました。 今回は、高校生の自発的な生命の❝輝き❞をお伝えしたかったのです。




ローランサンの絵に佇む女性

モネの絵は、やわらかな色彩がそこはかとなく漂って、観る人の心を和ませます。 本物を観たくて私は時々パリへ行きますが、 有名な「睡蓮」の大作はセーヌ河のほとり、 オランジュリー美術館の「睡蓮の間」にあります。 別室にはルノアールやゴッホやドラクロアなど、美術の本でよくお目にかかる有名な絵がたくさんあって、時の経つのも忘れる夢の館です。

その中に女流画家マリー・ローランサンの絵がいくつか展示されているコーナーがありました。薄紫色を基調に、 優しいタッチで女性が描かれています。 私は椅子に腰掛けて、 ゆったりと眺めていました。 そこへ、 人目もはばからずにおしゃべりをしながら、 数人のおばさん連れが入って来ました。 大阪弁で、 いかにも買い物を目的にパリにやって来た、という風で全身これブランド品で飾り立てています。

これはヤバイ、と私が腰を浮かせた時、 その中の一人がローランサンの絵の前に立ち、「うわー、 この絵。 私の店にあるのと同じ」とささやきました。 その声は、今までの押し付けがましいガラガラ声から一変して、やわらかく秘密めいて、少女のような恥じらいがありました。 両手を組んで胸に当て、 ローランサンの絵をうっとりと見つめている代表的な大阪のおばさんの姿に、私は思わず魅入りました。

* 本物は人の心を素直にさせる!

この女性も、「心の奥底はナイーブで繊細で穏やかなんだろうなあ。 だけど客商売で毎日、気を張って、体を張って、押しを強くして生きてきたんだろうあ。」 それが思いがけずローランサンの絵に出会って、 しかもお店に飾ってある絵の本物に巡りあったので、一気に 「素の自分」に戻ったんだろうなあ。

そう思って見ている私の心も、ふんわりと春の陽気になっていたのでしょう。
本物の絵はSimpleで明快です。 そして個性的です。 モネは、どの絵を見てもモ
ネですし、 ローランサンの絵は一目見て、迷うことなくローランサンです。 そ
はボディートークで言えば、「生命の躍動」 が研ぎ澄まされて 「本来の自分」
が充分に発揮された表現だからです。

私たちの誰もが 「生命の輝き」で生きています。 もともと生命は〝ふつふつ”と湧き出て、元気になろう、 もっと弾もう、しているものなのです。 この元気になろうとする勢いの方向が生命の道、「 TAO」です。

そして私たちは宇宙の必然的な流れに乗って、オノズカラ誕生しました。両親、生活環時代等など、諸々の条件の下に与えられオノズカラの生命を素直に膨らませると、「本来の自分」 が育っていきます。

「本来の自分」 が育つには行動を決定するにはミズカラの意思が大切です。 私たちの人生は、与えられたオノズカラなる 「生命の躍動」 をベースに、ミズカラの意思決定によって創りあげている、と言えるでしょう。

* オノズカラなる「生命の運動」ミズカラなる 「本来の自分」=その人の個性

ところが、人生はそう易々とは順調に進みません。 現実には病気あり、人間
関係のいざこざあり、仕事の行き詰まりあり、能力の限界あり、社会のひずみあり、地球環境の問題ありで 「現実の自分」は、しこりやユガミをいっぱい身につけています。

ボディートークでは、あまりに悩みやストレスで身を固め、息を詰めている人
を「毒まんじゅう」と称して、体ほぐしで 「毒抜き」をします。 また体を揺すって、発声をすることで「毒の息」を解放します。 毒を抜くために泣いたり、わめいたり、足をバタバタさせたり、怒ったりの「毒抜き表現」は、人に見せるためのものではありません。

そういうのを踊りや演劇として舞台に乗せている人もありますが、本人は毒が抜けて快いかも知れませんが、 見せられるものではありません。 シコリやユガミをできる限り取り去って「本来の自分」に立ち戻り「生命の躍動」をふくらませて、個性に磨きをかけること、私は表現をこのように考えています。




永遠の現在に生きる

どんな夢が花開くのでしょう?
今年どんな夢を膨らませていらっしゃいますか?

今年は、 ボディートークが誕生して40年になろうかと言う年でもあります。 ボディートーク Babyも全国で次から次へと誕生し、おめでたが重なる、 喜びのHappy  New  Year!です。

歩いてきた道を振り返ってみると

新年を迎えると、ちょっと改めて自分の生き方を見つめてみようという気持ちになりますね。 私も70年からの人生を振り返ると、 若い頃には自分では懸命に生きていたはずだったのに、今になると分かっていないことばかりだったのだなぁと、 その頃の姿が微笑ましくなります。

そんな私を、黙って嫌味も言わず、 あたたかい想いで見守り、 育てて下さっ た方々に、≪本当にありがとうございました≫と、 深い感謝の気持ちが涌いてきます。その方達から教えていただいた想いを、今度は次の若い人達に少しで も伝えていきたいと願っているのですが…。

● 素晴らしい人との出会い

それにしても、私は本当に素晴らしい人生の先輩方や恩師達に恵まれていました。今日はその中のお一人、 故川村英男先生のお話をしたいと思います。
先生は、 名古屋大学の名誉教授を経て、 新設の福岡大学体育学部の名誉教授 として就任されました。

もう、なん年も前のことです。 以前にも会報に書いたことがありますが、 体育嫌いの私が4年間体育学部で意欲を持ち、 学び続けられたのは、この川村先生と進藤先生の出会いがあったからこそです。

川村先生は、 ≪人は何故運動をするのか? 人は何故生きるのか? 生きるとはどういうことな のか? ≫などを学ぶ、体育原理という教科を、 進藤先生は≪人の動きを科学科していく≫運動生理学という教科を担当されていました。(私は進藤ゼミでし た)

その時代は、まだ運動処法の分野は無く、 進藤先生はそれを全国レベルで創っていくプロジェクトの第一人者でした。 4人のゼミ生は、共に夢を持ちなが ら、それを創り上げていったのです。

永遠の現在に生きる

私は中学の頃から、学校の教育だけでなく広瀬淡窓の咸宜園の流れを汲む、佐野塾(佐野至先生指導)というところで、 ≪生きる姿勢≫を学ばせていただいていました。 ですから、余計に川村先生に魅かれていったのかもしれ ません。先生の授業を毎時間、心をときめかせながら、一番前の席で聞いていました。

永遠の現在に生きるとは

私達は「永遠の現在に生きています」現在、今、 というのは、この一瞬だけです。一瞬ごとに刻々と過去になっていきます。
また、一瞬先のこと、即ち未来のことは、誰にも、何にも分かりません。 ≪生きるということは、この一瞬、現在を生きることなのです≫
だからこそ、《この今、この現在の一秒、一秒を大切に生きていくこと が必要なのです≫

その頃の私は、大学は自分の期待していたものとは随分異なっていて、「私 は、もっともっと学びたくて大学へ来たのに…」とがっかりすることが多かっ たのです。でも川村先生のこの言葉を聞いた瞬間、 まるで雷光に打たれたかのような感動が全身をかけめぐり、涙が次から次から出てきて止まりませんでし た。

「そうだ! 今の今を輝かせていけるよう努力しよう! 今を、この一秒一秒を 大切に生きていこう!」 グズグズと燻っていた心の中のわだかまりが、 どこか へ吹っ飛んでいってしまいました。

その日から、私の生き方は大きく変わっていきました。 そして大学卒業後、 短大で教鞭を取っていた時も、 現在、ボディートークの各セミナーやプライベー
ト・レッスンをさせていただいている時も、≪このセミナーやレッスンが、 た とえ最後になってもいいように! 悔いのないようベストを尽くそう≫と、 ごく当たり前に、自然にそう思えているのも、 いつも心に≪永遠の現在に生きる≫ という先生の言葉が響いているからだと思います。

喜びの今をひとつでも多く

とは言え、人生はいつもいい時ばかりではありませんね。 そんな時こそ、ボ ディートークの出番です。ボディートークは“この今をできるだけ輝かせて生きていくための生きる知恵” ですから。一日は矢のように加速化して進んでいきますが、 今年も多くの≪よかったね、 嬉しいね。 の喜びの今≫の思い出ができるといいですね。

白い雪をみつめながら

明先生のお母様がいらっしゃった、ホームへ伺った時の事。
ドアを開けると、サロンいっぱいに元気のいいおじいちゃんの、 ♪雪やこんこ~あられやこんこ~♪の歌声が聞こえてきました。
100才になられたお母様のやわらかい、あたたかい手に触れさせていただきながら、窓の外に舞う白い雪を、明先生と見つめながら ≪嬉しい喜びの今≫を過ごさせていただきました。




不思議な鈴の音

あけましておめでとうございます。 と言っても、もう2月も半ばですね。新しい今年どはんな夢を膨らませていらっ しゃいますか?

子どもの頃は「♪もういくつねると~ お正月~♪」と、指折り数えていたお正 月。暮れになると、村中が普段と異なって急に慌しくなり、寒さの中にもピー ンとした心地良い緊張感がみなぎって、お正月がやって来ると、ワクワクしていたものです。

真っ白に張り替えられた障子から差し込む新年の朝の光の中で目を覚ますと、台所からコトコトコト音がして、お雑煮の匂いが漂ってくる。貧しかったけれど家族の暖かさにたっぷりと包まれた、よき時代だったなぁと懐かしくなります。 そんなお正月の思い出の一つに、こんなエ ピソードがあります。

桜のお花のお菓子は宝石のよう!

私が4才か5才の頃の話です。 お雑煮、 数の子、 黒豆、オモチとお腹いっぱいになり、お年玉ももらって大満足。しばらく横になっていました。すると叔母がお抹茶を立て始め、「ハイ、どうぞ召し上が れ!」とお茶菓子を懐紙にのせてくれたのです。 「これ、本当にお菓子なの?」と聞きなおしたいほどに、美しい桜の花の形のお菓子です。 嬉しくてしばらく食卓の上に置いて、 ウットリと眺めていました。

ところが片づけを始めた叔母が、 食卓を拭くついでにヒョイとそのお菓子を自分の口の中に入れ、 食べてしまったのです。予期せぬ出来事に、私は思わず「ワーッ!」と泣き出しました。 驚いたのは叔母です。 「どうしたの?食べ るんだったの?」と尋ねられても、悲しくて涙が次から次へとこぼれるばかりでした。

大切なものを感じる時間

今となっては叔母と笑いながらの思い出話ですが、幼い子どもの心の中にあ る大切なものは、忙しく生きている大人の感覚では見過ごしがちになってしまうものなのかもしれません。

大人になると、 その忙しさに追われ、自分の心の中にある大切なものも見失っていることがあることに気づかされます。 それでもボディートークを知ってからは、一人ほぐし・二人ほぐし・ボディー メッセージ・鈴占いなど、 自分の内を感じたり、 自分の内を知れることが出来、自分の生き方の軌道調整を、その時その時に、出来るようになったのは有難いことです。

体が楽になると心が穏やかになり、客観的に自分を見つめ、 自分にとって大切 なものが何かが見えてくるような気がします。

消えていく鈴の音

ところで皆さんは、いろんな事に悩み、 どうしていいか分からなくなった時、 どうされていますか? 私はそんな時、 誰もいない場所で一人静かに《鈴占い》 をすることがあります。

そして、まず今の自分の生命の在り方を知ることから 始めようとします。 ボディートークに出合って間もなかった頃、首のヘルニア の好転反応で苦しみ、呼吸困難、失神などの症状なども現れていきました。 “私の生命はどうなっていくの? 大丈夫なの?どうすればいいの?”と悩んでいる時、ふと鈴占いをしてみようと思いついたのです。

50 個の鈴がつけられた長いリボンを肩からさげ、トントン、トントンと右足、左足とジャンプを繰り返しながら鈴を鳴らしてみました。 この時、不思議な事が起こったのです。 最初は鳴っていた鈴が、 飛ぶ度に音が消えていって、 全く音がしなくなっていったのです。

「エーッ! そんなはずはない」と更に思 い切って強くジャンプをしたのですが、それでもやはり音は鳴らなかったのです。

外から見れば何度も連続ジャンプが出来ているのですから、しっかりエネル ギーのあるように見えるのですが、 《生命はまさに0地点に立っている》であ ることを、鈴は私に教えてくれたのでした。

“そうなんだ、 今は0地点に立っ ているのだから、じっとただひたすら焦らず待ち続けることなのだ” と思い、 その好転反応を受け入れ回復を待ったのです。 もちろん一年半経って、私はすっかり元気になりました。

鈴おとが、教えてくれた生命の弾み

これとはまた反対に、去年12月の鈴占いでは、 松葉杖で歩くのもやっとの 足で、飛べるかな?と思い、飛んでみました。ところがビックリ。 音は柔らかく豊かで、喜びの音を響かせてくれました。 キラキラ光っているようにも聞こえたのです。

外からは思うように動かない不自由な足なのですが、 《生命は弾 んでいるよ、 輝いているよ》と鈴音が教えてくれたのです。 目を閉じて聞いていると、まさか足の悪い人が飛んでいるようには決して思えない鈴の音だった のです。

外に現れているものと内にあるものがこんなにも異なっていることもあることを、自分の体で体験できたことは、とてもラッキーでした。

それにしても、増田先生は 《内なる生命の声を知る》 「よくぞこのような方法を発見されたものだ」と、その感性に感銘するばかりです。 先生が生み出されたボディートークのブログラムの内容は計り知れないほど、 深く、ひとつひとつ掘り下げていけば、 泉のように生命の知恵が湧いてきます。 今年は、私がボディートークに出合って約30年の年になりますが、 ボディートークの道は私の前に果てしなく続いています。

病気だった明先生もずいぶんお元気になられ、 先生が一粒ずつ心を込めて蒔かれたボデ ィートークの種が、 芽を吹き、 花をつけ、 実を実らせ、 しっかり根を張ってい っています。自分の生命を大切にし、他の生命とともに喜びながら生きていける知恵としてのボディートークが、 今年も全国のあちこちで花を咲かせていこ うとしています。 嬉しいですね。

皆様にとって、 この一年がどうぞ良き年であられますように!!




青い鳥は表現のベース

病気、未病の前に違和感

ただ単に発熱しているとか、 咳が出る、 痛みを感じるとかの状態を病気とは言いません。 西洋医学の見地では病気とは 「器質的疾患」のことを言 います。 すなわち、 病理学者が解剖をして、はっ きりと異常だと確認できる状態のことです。

直腸にガンが出来ているとか、 脳の血管が詰まってい るとかの例です。
ですが器質的な疾患は、 事故以外では突然やってくるものではありません。 その前に病気以前の病気という状態があります。 腰が痛むとか、 手足がしびれるとかの症状で、 西洋医学では 「機能的疾患」或いは「未完成の病態」と呼んでいます。 世俗的には 「半病人」というところでしょう。

東洋医学には「未病を治す」 という考えが ありますが、東洋医学の「未病」とは西洋医学の 「機能的疾患」 にほぼ一致するでしょう。

ほぼ、 と言いましたのは各々の医学で病気の捉え方が異なるからです。 ひとつには「未病」とは 「役に立つよい病気」と東洋医学では考えていますが、 西洋医学にはそのような発想はありません。

ボディートークは医療とは考えていませんが、 現実にはさまざまな病的症状を解消して元気を回復する健康法でもあります。 「生命の道」 は元気になるように出来ています。 ですから歪んだ心や体の状態を、いつも「あるべきものが、 あるべきところに、 あるべきようにある」 というように戻します。 あとは、自分の内なる自然治癒力の高まりを信頼すればいいのです。

その意味でボディートークは「未病」 「病気」 以前の、 心や体の「違和感」 に焦点を当てます。 例えば寝ていた犬が起き上がると、 犬はお腹に 「違和感」 を覚えます。 横になって眠っている間に内臓が引力によって地面の方へ片寄ってしまうからです。 それで犬は胴ぶるいをします。 ブルブルッとお腹を揺すると、内臓が一瞬にして正しい位置に納まります。

人間はこの 「違和感」 に対して鈍いですね。 頭の働きが発達したために、 つ
いつい思考の方へエネルギーがいってしまって、本能的な感覚が隠れてしまうのでしょう。

ボディートークは心と頭と体の働きをバランス良く高め、「内感能力」によって「違和感」を鋭くキャッチする方法ですから、痛むまでもなく 「アレッ?」と感じたとたんに、内部を適確に揺すって正常な状態に戻します。 このように動物は基本的に 「違和感」 の段階で、 それを解消するための自然 な動きを行って健康を保っています。 この動きを人間に当てはめれば整体運動と呼べるでしょうか。

運動というよりむしろ「うごめき」 すなわち 「蠢動」と 呼ぶ方がふさわしいかもしれません。 その「蠢動」に私は発声を加えました。 「アー」と言いながら体の内部を揺するのです。 あるいは 「ホッホッホッ」と 言いながら軽やかに足踏みをするのです。

どうして 「アー」 なのですか? どうして 「ホッ」 なのですか? 「イー」 ではいけませんか、 「ウッ」ではいけませんか、と尋ねる人が時々あります。 整体運動での 「アー」 や 「ホッ」は言語としての「アー」 や 「ホッ」ではありません。

口をポカーンと開いて、 すなわち呼気を開 いて発声すればおのずと 「アー」という響きになり、 あるいは「ホッ」と聞こえるような声になるのです。 人間は他の動物よりはるかに高度で複雑な生き方 をしていますから、 整体運動もそれなりに工夫しな ければなりません。 整体運動に発声を加えたのは、 特に息をほぐすことが重要と考えたからです。

動物は不快な感情を持ったり、ストレスが大きく かかってくると、 息を詰めます。 まして人間は先々のことまで予測して不安感をつのらせますから、 息の詰まりも複雑です。 息の在り方はそのままその人の 生き方でもあるのです。 だから息をほぐすように発声をして体を揺するという のは、やわらかく、 ゆったりとした、 自然で素直な息を得る方法なのです。 い い息がいい生き方を導いてくれるのです。

この息が表現のベースとなります。 怒りや憎しみを直接ぶつける表現も、世間にはありますが、 ボディートークではこのような毒気のある息は、 先ず体ほぐし や整体運動で抜くことにしています。

毒のある表現は本人には毒出しで快感かもしれませんが、 受ける側を傷つけることになりかねませんから、ボディートークによる自由表現法のプログラムに入る前やボーカルダンスを 練習する前に、必ず整体運動を行い、 体ほぐしをするのは、このようにいい息 から出発したいからです。 そしてこのシステムが同時に健康への道となってい るのです。




時を忘れ、我を忘れて

<一切忘却する大ジャンプ 

長野でも過去、冬季オリンピックが開催されました。 ます。競技の花形は何と言っても大ジャンプでしょ う。雪の斜面を百メートルを越えて飛び続けるのですから人間技の限界に挑んでいるわけです。 ジャンプ台に立つと、おそらく真っ逆さまに谷底へ落 ちていく感じがするのではないでしょうか。 

50年ほど昔の競技を映像で見てみますと、 どの国の選手もお尻を引いて、 へっぴり腰で飛んでい ます。 飛距離も今の半分ぐらいです。 現在の跳躍姿勢はスキー板をV字形にして腰を真っすぐに伸ばし、見事な前傾飛行です。 

これだけのことをするためには才能はもちろんのこと、年がら年中ひたすらトレーニングを積むことが必要でしょ う。そして、この極限のパフォーマンスを行う一流選手たちが一様に到達した境地は 「ジャンプとは忘却なり」ということでした。 晴れの舞台で何もかも忘れて飛ぶことができれば最高の成績が残せると言うのです。 至福の一瞬でしょうね。 この忘却は、磨きに磨きをかけた芸術作品でしょう。 

ここまで到らなくても、 私たちの日常生活では 「意識的にあることを忘れる」 ことによって物事がスムーズに運びます。 物忘れを老化現象のように嘆く人があ りますが、 私たちの脳は嫌なこと、 失敗したこと、 覚えたくないことは本能的に意識の世界から無意識の世界へ押しやるシステムになっています。 今回はこの忘れる能力を積極的に活用しようという提案です。 

高校一年生の夏でしたか、 数学のテストで難問に挑んでいました。 すると、も うちょっとで解けそうなのに、残り時間のことが気になってなかなか一歩先へ頭が集中しないのです。 とうとう間に合わなくて悔しい思いをしました。 その時、 心に決めたのです。「私は時間に振りまわされる人生を送らないぞ」と。 

その日以来、今日に至るまで私は腕時計をしたことがありません。 もちろん時間の段取りはあらかじめしておく必要があります。 しかし一旦段取りが決まれば、 あとは時間を忘れて目の前のことに没頭するのです。 

例えば食事をする時、 あと何分、 あと何分と思って食べているとちっともおい しくありません。 三十分ある時と一時間ある時では自ずと食べるペースが違いますから、自分の体に任せればいいのです。

次に変な話で申し訳ありませんが、 電車の待ち時間にトイレに行く時も電車が来ることを一瞬忘れるようにしています。 排泄行為には快感があるように神様は体を設計していますから、ゆっくりと楽しむようにしています。 どのみち、 その最中に電車が来ても途中で止めることはできないのですから。 

創作行為に時を忘れて熱中するということも大事です。 絵を描く時、 詩や作曲 をする時、はたまた活け花をしたり、 料理をこしらえたり、 掃除をしたりする時だってそうです。積極的に時間を忘れるだけで楽しさと集中力は倍増します。 

子供たちと遊ぶ時は自分が大人であることを忘れる方がよろしい。 年齢を捨て ることが共に遊ぶ世界をふくらませることになります。 

<充実させる方法> 

テレビで動物王国の畑ムツゴロウさんを見る毎に感じることなのですが、 犬や熊や、その他どんな動物とでも嬉々としてたわむれている彼は、おそらくその瞬間には 、人間であることを忘れているのだろうなあ、と羨ましく 思います。 子供の教育には何を忘れたらいいのでしょう 

子供は子供なりに人生の波をくぐり抜けることで成長します。 不登校やいじめ問題、あるいは家庭問題など、 大きな波に直面した時には世間体を忘れることです。 他人 や親兄弟に対する見栄を捨てることです。 そうすれば本来の解決の道へ全力を投 することができます。

数年前に茨城県で起きた両親が息子をバットで殺した事 件も、ひとつには模範的な教育者であった両親が世間体を捨てられなかった要因 が大きかったと考えられます。 

私事で恐縮ですが全国を講演にまわっていますと、 司会の方から「話術の巧み な増田先生」と紹介されることがあります。 私としては思いもよらないことなの で「エッ?」とびっくりするのですが、 ボディートークの話をするときは私は話 すテクニックということを一切考えません。 真実を伝えることに集中するのです。

もし私が上手くしゃべってやろうと考えれば、 その気持ちやテクニックが前面に 出て、 会場はシラけた空気になるでしょう。 歌でも踊りでも人前で表現する時は、 テクニックを忘れることです。 練習には テクニックを研ぎ澄ます必要がありますが、本番では周辺のことは一切忘れて、 もちろん我も忘れて、 内容のみをていねいに伝えることに専念したいものです。