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借金のしこり

自分のエサを差し出す心境

「借金で首がまわらない」のは、頸椎7番の周辺の筋肉 が固くなるからだ ― ここまでは以前から気が 付いていました。そして自分の体験や人の体で確かめ、 外国人も同様であることも実感してきました。、

問題はその先です。ではどうして頸椎7番に借金のしこりができるのか。このことをずーっと考え続けてきま したが、最近やっと結論らしきところまで到達しました。
即ち、人間にとってのお金の問題は動物にとってはエサの問題です。動物のエサのやりとりと人間のお金のやりくりは共通の精神構造の上に成り立っているのではないかと考えたのです。

例えば、ライオンがシマウマを倒して喰いついてい るとしましょう。おこぼれを頂戴しようとハイエナ達 がまわりを囲んでいます。この時のハイエナの姿勢を 見ていますと、ジッと立ち止まって、首を下げもせず上げもせず、中位で固定しています。

その目付きや口元やノドの動きを見ますと、ハイエナはどうやら固唾を飲 んでいるようです。唾を固く飲み込むには、自分でやってみればすぐにわかることですが、首の付け 根を固定しないとできません。つまり、固唾を飲む前提になる筋緊張が頸椎7番の固定と考えられます。

ところでハイエナは、ライオンがむさぼり喰いついているシマウマの肉を、ライオンのものだと思っているでしょうか。ライオンが倒したエサであるにもかかわらず、 ハイエナは自分のものだと考えているでしょう。だから自分のエサを仕方ないから、 今はライオンに差し出しているのだという心境ではないでしょうか。

私の体験で言えば、小学生の頃、通学の途中に柿が実っていまして、人の庭先の
柿であるにもかかわらず、ある枝の何番目の柿は自分のものであると勝手に決め 毎日大きくなるのを楽しみにして、とうとう失敬した記憶があります。その時は人のものだとは全く考えてなかったと思います。

さて、人間にとっての借金の問題を重ねてみましょう。借りたお金そのものにス トレスを感じているのではありません。借金の悩みとは、返さなければならないという義務感の重圧や返せないかもしれないという不安感から起こるものです。

そして自分が稼いだ金を貸方へ差し出さなければならないという焦燥感が、頸椎7番を固定するという本能とつながっているのだと考えました。

目のしこり取り
1 頸椎1番の両脇、即ち頭蓋骨の下端にあるくぼみ が目のしこりの出る位置です。ここに豆粒のよう な固まりがあれば、目は相当に疲れています。

2 中指もしくは人指し指を目のしこりに軽く当て揺すります。

3 ウケテは「アー」と小さな声を出して下さい。

4 自分で軽くたたいてみるのもいいでしょう。




便秘の赤ちゃんの心ほぐし・足ほぐし 2

(4月1日から続く)
この体ほぐしのコツは、お母さんが楽しんでやることです、全身で赤ちゃんと 「手相撲一足相撲」を楽しんで下さい。

「ワァー ○○ちゃん強いねぇ!! すご いねぇ!!」とお母さんが喜んでくれると、赤ちゃんも嬉しいのです。(ほぐし方が良ければ、赤ちゃんは「キャッキャッ」と声をあげて笑い始めます。悪ければ喜びませんので、ご注意下さい)

この体ほぐしによって、心地良い振動が全身へ伝わり、赤ちゃんの腸の蠕動運動を活発にしていくので、びっくりするほど沢山のウンコが出るようになっていきます。

ボディートークでは「便秘」は「あきらめ気味の我慢」「我慢することでお腹の左下部分を固めていくため」と捉えていますが、赤ちゃんも一緒です。

一才のお誕生日が近くなってくると、「ハイハイしたり、立ったり」するように なりますね。この時期の赤ちゃんは脳の神経細胞が特に急速に発達していく時期で、 自分の頭の中で考えたり、思ったりすることがいっぱいになるのですが、それに対し骨や筋肉の発育は充分ではないので、わが身が思いのままにならぬ悔しさや我慢を溜め込んでいきがちです。

だから思い切って全身で大地を蹴って、自分の足で自分の力を実感できる、そういう力のパフォーマンスが必要であり、「学習したい」と、 赤ちゃんがとても願っている時期なのです。「ワァ~すごいね! 強いね!」と、一回 ごとにほめてやりながら、「自分でやれた! 自分に は力がある!」という喜びを味合わせてあげて下さいね。

≪生きていく力≫は、自分の力で息ができること、 食べ物を得て口に入れ、消化吸収して排便、排尿できること、自分の足で立ち、行動できることが基本です。 この力を周囲から暖かく支えられ、自分でやれるという自信がく生きる力、生きていく力》を育てていきま す。

≪赤ちゃんは言葉がわかるのかしら?≫

ごきげん気分の赤ちゃんを膝に抱いているお母さんとおしゃべりしていた時の ことです。お母さんは、毒舌のおじいちゃんのグチを次から次へとこぼし始めました。しばらくすると、突然赤ちゃんが大きな声で「ワッ!」と火のついたように泣き始めました。

オッパイ? オムツ? 私は赤ちゃんの声の表情と動きを見て、 思わず「大好きなおじいちゃんなんだよね。悪口言われて悲しかったね。ゴメンネ〜」と、言いながら背中をそっとほぐしていくと、穏やかになりました。

お母さんは「この子は話の内容がわかるのかしら?」とキツネにつままれたような表情です。では、赤ちゃんはどのように言葉を理解したのでしょう。人の行動はイメージから始まります。(イメージは頭の領域)そして、イメージは何らかの感情を伴います。(感情は心の領域)そして、イメージと感情が体の内部にウゴメキを起こします。

ボディートークでは、この微妙な動きを「内動」と名付けて います。(内動は体の領域)言葉は、イメージ・感情・内動がひとつにまとまって 生まれます。赤ちゃんが物が欲しい時に「ア、ア、ア〜」としきりに喃語を発し ているのも、まだ言葉には完成されていませんが、イメージ・感情・内動が一つ になって出てきているのです。

原始時代の日本人は「自分のもの」ということを 意味するのに「ア、ア、ア」と言ったり、「あなたのもの」ということを意味する のに「ナ、ナ、ナ」と言っていたようです。やがて文字を使うようになり、「ア」 が「吾」となり「ナ」が「女」になったと考えられます。

言葉を知らない赤ちゃんは、言葉の奥に潜んでいるイメージ・感情・内動を敏感に感じ、そのことに反応しているのだと思えます。この三領域は「息」から生まれます。きっと赤ちゃんは「息」に反応しているのでしょう。

出産予定日が過ぎているのに、なかなか赤ちゃんが降りてこないケースがあります。妊婦さんや周囲の人が慌てず、優しく赤ちゃんを包むように「大丈夫だよ、怖くないよ、 お母さんたちが待っているからね。もう出てきてもいいよ」と、暖かい息で声をかけます。すると陣痛が起こりやすくなる例がたくさんあります。

これも赤ちゃ んが言葉を理解したのではなく、その言葉を発する息の暖かさや、お母さんの体の内動をキャッチするのだと考えられます。

おじいちゃんの悪口に泣き出した赤ちゃんは「おじいちゃん」という響きを察 知して「おじいちゃんのことだ」とわかり、悪口の感情や内動は、お母さんの冷 たい息(声)や体の振動から共鳴し、理解して反応したのですよね。赤ちゃんの 生命の感性はすごいと思いませんか?




便秘の赤ちゃんの心ほぐし・足ほぐし 1

若いお母さんから相談を受けました。赤ちゃんが便秘で生後一年以上も浣腸をし ているとの事。そんな例がいくつかあってビックリしました。

便秘の赤ちゃんの体に触れてみると、どの赤ちゃんもキュッとお尻や足の付け根、大腿部を固くしてい ます。赤ちゃんの筋肉は、つきたてのおもちのように柔らかくてホカホカしているので、その中を通る血管や神経、リンパの流れもスムーズで新陳代謝がうまく行わ れているのです。

そこでオムツを換える時、お母さんが固くなっているお尻や大腿部を柔らかなタッチでほぐしてあげると、赤ちゃんの便秘は解消していきます。

皆さんは人の体には「筋肉ポンプ」という仕組みがあるのを御存知でしょうか?足の筋肉が軽やかに収縮と弛緩を繰り返すことで、心臓へ戻っていく静脈血の量(静脈還流)が増え、その事で心筋への刺激が助長され、心臓から全身へ送り出されて いく静脈血の量が増えていくというシステムです。

例えば大人の場合、手術後に病室で寝たままの姿勢を続けていると、筋肉ポンプが働きにくくなります。そのため に心肺機能が低下していくことを予防して、定期的に筋肉を収縮させる機械を足につけたりするのです。

ですから、自分の力で立ったり座ったりできない赤ちゃんを、寝たままの状態で 過ごさせることは、暴力にも近いことだと言えますね。抱っこして足の上に胴体、 胴体の上に頭があるという姿勢(重力の方向と同方向)にするだけでも心肺機能は高まるのです。そういう体のシステムから考えてみると、今のお母さん方が、赤ちゃんを体の前で抱っこひもで抱っこして移動している姿勢は、果たしてどうなのでしょう?

自分で赤ちゃんの姿勢を真似てみましょう。

1 袋のようなものに包まれ、丸く身を縮ませて、抱っこされている姿勢―お尻の部分に重さが全部かけられていて 、大腿部の付け根も縮み、その部分がうっ血状態を作りやすくなっていきませんか?

2 今度は、おんぶされた姿勢――1と比べて2の方が立つ姿勢に近く、足先 の方へ血液が流れやすい感覚がありませんか?

1にも2にもそれぞれ利点がありま すが、昔より最近の方が便秘の赤ちゃんの話が多いのは、「抱っこ方法」にも関係しているかも知れないと思われます。

では、便秘の赤ちゃんの足ほぐしをご紹介いたしましょう。 まず自分の手をよくさすって温めます。赤ちゃんをタンポポだとイメージして、タンポポの綿毛にそっと触れるようにタッチしてあげて下さい。赤ちゃんの足は足の付け根からではなく、ウエストのところからついているとイメージして下さい。 赤ちゃんを仰向けに寝かせます。

STEP A

くお尻暖め>
温めた手をお尻の下に敷きます。その手でゆっくりお尻を揺するようにして暖めながら、お尻の筋肉がホッペのように柔らかくなるようにほぐしていきます。

<大腿部の付け根、大腿部暖め〉
両手で片方の大腿部の付け根を包むようにして温めます。 大腿部も同様にします。

く付け根の、ノビノビ伸ばし〉
次は、大腿部の付け根をそっとゆっくり伸ばします。「のび、のび〜」 と優しい声かけをしながら、腸骨のサイドから大腿部、足先へと流すように ゆっくり何回もなでてあげましょう。反対の足も同様に行います。

STEP B

くかかと押しのばし〉
1  両手で赤ちゃんの片足のかかとを包むようにして、そっと体幹の方へ押し
ていきます。「ウーン」と声をかけながらやってみて下さい。すると赤ちゃ んが力をこめて押し返してきます。 押し返してきたら、もう少し力を加えて押し返してあげます。さらに赤ちゃんがグッと力をこめて押し返します。

2  その力を感じたら、かかとを押している手はそのまま足を包んでいる状態
で、赤ちゃんが押してくる力に負けたように「ウワァ~」とか「ボヨヨー ン」とか言いながら、赤ちゃんの足が伸びようとする方向へ力を抜いてい きます。(あくびで「ア~」っと一気に伸ばしていきます。アクビのように快感のある伸ばし方です)

3  数回繰り返すと、赤ちゃんが今度は思いきって全身で足を外に向かって蹴
る動作を、自分で何度も繰り返すようになってきます。




心身一如の体ほぐし

<体が不調な時の楽しみ方> 自分で確かめる神経のつながり

「眠い時には足の親指をほぐす」ーーかつて高校の教師をしていた頃、職員会議が私には大の苦手でした。とにかく眠くなるのです。居眠りしていたと記憶していますが、時にはそうもしていらない場合もあります。何とか目が覚める方法はないかと、あちこちつねっている時に親指の第一関節をつまんで、コリコリと揺すってやると、偶然目がパッチリとして頭がはっきりすることに気付きました。

目の神経と、どのようにつながっているのかはわかりませんが、寝不足をしている人や目の疲れている人は、その部分を触れられると確実に痛みます。そして痛みをほぐすことで目がすっきりするのです。

これまでに発見をした二、三の例をご紹介しましょう。

「コムラ返り」 ー-ある朝、起きようとして突然、右のふくらはぎに石のような固まりができてつりあがり、激痛が走りました。私にとっては生まれて初めての経験でしたが、これが彼の有名なコムラ返りか、と察知しました。

痛みの中 で体のあちこちをさぐってみたところ、後頭部の頸椎一番右横を親指で押したとたん 神経がふくらはぎのほうへピピピと走ってふくらはぎがフッとやわらぎ痛みはなくなりました。

コムラ返りは医学的には神経の冷えからくると言われています。水泳中に起こって、プールサイドで足の親指を引っ張っている人を時々見かけますが、かなりの時間痛んでいるようです。私の方法ですと、それこそものの数秒で解消です。会員の中でよくコムラ返りを起こす人がいましたので、この方法を教えましたら、早速ためしてみて「本当だ。すごい」と喜んでいました。

「歯の痛み」ー-ムシ歯で痛むのは処置しなければなりませんが、過労などから歯が痛むこともあります。それをてっきりムシ歯だと思って歯医者に行ったら、何ともありませんよ、と言われる人も多いようです。

歯が痛んだ時は、まず全身の体ほぐしをします。そして特に首や顎関節や頬骨たいてい の際、コメカミなどの神経の流れを良くします。それでも痛みが変わらない時は歯医者へ行けばいいでしょう。

歯科で部分麻酔をしてもらった時は、痛み止めの薬をもらいます。「私は要りません」と言いましたら、歯医者さんが「大丈夫ですか。ずい分痛みますよ、本 当に要らないんですね」と何度も念を押されました。

歯の麻酔薬を注射された時、顔の神経を色々触ってみました。すると口やアゴの周辺で小さな節ができています。麻酔薬は体にとっては毒ですから、神経や血管やリンパ管などが節をつくって、それ以上まわらないようにブロックしているのではないでしょうか。

痛みは麻酔薬がさめる時に起こります。そこで覚める前にプロックされている部位をほぐします。そうすると全く痛みはありません。これは是非みなさんも是非試してみて下さい。

その他「ものもらい」ができた時に首を振ることや「切り傷」の自然治癒など色々あります。自分で治し方を発見するのは文字通り愉快なことです。これはボディートークの基本的な考え方です。




足裏の疲れをとる

私たちは当たり前のように二本の足で歩いていますが、 人間が立っているってすごいことですね。こんなに小さな足の裏の面積に、よくぞこれほど大きな体を乗せてバ ランスよく立っていられるなと思ったことはありません か。しかも二本足で歩くということは、一本足で立つことができるからこそ可能なのですから。

ところで女の子たちに人気のリカちゃん人形は、八 等身美人に作られてはいますが、体の各部の比率が本物の人間に近いようにデザインされています。このリカちゃ ん人形を立ててみようと試みたことがありますが、到底立たせることはできませんでした。

そこへいくと、生卵は 一見不可能に見えても立たせることができます。少し集中して丁寧にバランスをとってやれば、表面がツル ツルの机の上にだって見事に立ちます。中身が液体だ からです。中身が微妙に動いてくれるから、立つバランスをとることができるのです。

中身が固体であるユデ卵は当然のごとく立ちません。生卵より接地面積の大きい
リカちゃん人形についても同じ理由で立たせるこ ができないのです。
人間の中身は柔らかく、しかも生きています。だ から諸々の筋肉が瞬時に総合的にコントロールされるので立つことが容易なのです。

でも足の裏の動きは特に大変なのです。ちょっと意識を集中してみる と、カカトから指先まで絶えず微妙に動いているのがわかります。
ちなみに、体の固い人ほど足裏のコントロールは 大変なのです。

ギクシャクする動きを足裏は知らない間に四苦八苦して支え続けるのですから。体の柔らかい人は中身を微妙に動かして身をこなしますから、足裏への負担も最少限度に留めることができるのです。い ずれにせよ足裏は大変な働き者で縁の下の力持ちという訳です。

今回は足裏をほぐす方法をご紹介しましょう。 J

1 茶セン
長時間立っていたり歩き続けたりしますと、「土ふまず」の筋肉が固くなって足 全体に鈍い痛みが感じられますが、この時エネルギーの滞りが中足指節関節に来ていることはあまり知られていません。

中足指節関節は図のように、指の更に内側の関節なのですが、前向きの行動(人 的な問は後向きの行動は滅多に行わない)を支えるのがこの部分なのです。ですからこの関節の可動性を良くしますと足の疲労も早くとることができますし、身のこなしも軽やかになるのです。

ボディートークでは二人組になってお互いに中足指節関節をほぐしあいます。相手の足指全体を手で 包み込んでプラプラと揺するのですが、まるで抹茶の泡を立てる時の茶せんを見ているようなので「茶 せん」と名付けました。

よく指先だけを動かしている人を見かけますが、 それはあまり効果が上がりません。指先の更に奥の関節を揺するのだというイメージを持って行ってください。

茶センの方法のシテは自分の土ふまずにウケテの足を乗せます。 ウケテの足が右足の場合はシテの左足に乗せることになります。ウケテのアキレス腱がシテの 土ふまずに乗ると収まりがいいでしょう。

2 シテはウケテの足指を手ですっぽりと包むように持って中足指節関節をプラプラと揺すります。 ウケテの右足はシテの右手で、左足は左手で行います。もう一方の手はウケテの土ふまずのと ころを軽く握っていれば揺すりやすいでしょう。

3 シテは肩を落として手首を柔らかく、素早く動かすのがコツです。
ポイントを素早く揺する




初めて会う赤ちゃんとのお付き合いは?

初めて会った赤ちゃんと接する時の〈眼差しや息〉につい て説明しましたが、今回はボディートークの〈生命を大切にする感性〉につい てのエピソードをご紹介しながら話を進めていくことにします。

● 人を踏み台にしない!!

「肩甲骨ゆすりをしましょう」と増田先生の指示された通りに二人組になり、 うつ伏せになった相手の方の背中をまたぎ、肩甲骨を揺すろうとした時です。 「ストップ!今、あなたのやったことを最初からもう一度再現してみて下さ い!」と、いつにない強い口調で注意されたのです。

「エッ?何か、悪いことしたのかしら?」と、理由も分からずキツネにつままれたような顔をしなが らやり直してみました。「ホラ!それですよ。その方法は生命を大切にしていないやり方です。決して人の背中を踏み台にして、またいではいけません。もし下が赤ちゃんだったら、あなたはそうしましたか?」確かに私は、両手を相手の方の背中の上に置いたまま、「ヨイショ!」とまたいでいたのでした。

言われてみれば、〈ボディートークの生命の触れ方の原則〉である<ふんわりと繊細に→すっきりと大胆に→しっとりと夢中に>の視点から見ると、タブ ーなことを平気でやっていたのです。私はこの時、改めて〈自分の感性の鈍さ〉に気づき、どんな時にも“生命を大切にしていく、ボディートークの感性を素晴らしいと思いました。でもまだまだこれは初歩レベルで、もっと深い繊細な世界があったのです。

● バイオリンが教えてくれた繊細なタッチ

「これは私の父が弾いていたバイオリンだけど、弾いてみる?」と言われた時のことです。恐る恐る弓を受け取り、先生の真似をして弾いてみると、「ギィギィー」の音ばかり。

先生はニコニコとされながら私の傍に寄り、ご自分の手を私の右手にそっと包むように添えて弓を動かされました。すると、た ちまちバイオリンは美しい音色を奏で、その細やかで心地良い振動が体中に不思議な感覚で響いていったのです。音は決して耳だけで聞いているのではなく、 体の細胞全てで感じているのだという実感でした。

先生のタッチは、まるで鳥の羽毛のように、たんぽぽの綿毛のように軽やかで優しく、あたたかで繊細な触れ方でした。こんな高いレベルの繊細さがこの世にあったのかと、しばらくはガーンとショックで、そのすごさに身動きできなくなるほどの〈ふんわりさ〉でした。

生まれて初めての体験でした。そして私は今まで何と傲慢な触れ方や動き方をしてきたのだろう、生命に対して何と乱暴な生き方をしてきたのだろうと、自分に謝りたい気持ちになりました。
(40年近くクラシックバレエのレッスンで、や わらかく、繊細に動いてきたつもりでしたが…)

● 自分に優しくなれそうです

ボディートークに出会わなければ一生知ること ができなかっただろう(生命をこよなく大切にする繊細な感性〉は、こうして増田先生から教えて いただいたのです。

今私は、若いお母さんや、特に看護士、保育士、助産師さんなどを中心に〈エンゼルハンズのプログラム> を通して、このボディートークの繊細な感性をお伝えさせていただいています。 一度この繊細さを体験されると、ほとんどの方が、かつての私がそうであったように「こんな世界があったのか!」と驚かれます。(実は、ボディートーク の<一人ほぐし>も、まずこの自分に優しく触れていく感性を磨いていくためのものでもあるのです)

この世界が身についてくると、それまで無造作に見ていたものが、よりクリアに見えるようになって、次のような光景が気になって仕方なくなってきます。 ホラ、土筆を取りに行って、最初はなかなか見つけにくいのに、慣れてくるとあちこちに土筆があるなって見えてくる。きっとあの感覚と同じようなものですね。

● 赤ちゃんゴメンネ

それはなぜか、もう子育ても終わった50代ぐらいの女性に多いのですが….。 赤ちゃんを見るなり「あ~かわいい!」と、赤ちゃんの都合も聞かずに、すぐさまママの手から赤ちゃんを抱き上げてしまう人がいるのです。

お母さん同志はお知り合いであっても、初対面の赤ちゃんには突然のことで、びっくりして 、身を固くしたまま泣くこともできなくなっている赤ちゃんもいます。ママもそ の手の出し方が見事なほどに自信たっぷりで、アッという間のスピードですから、何も言えないままです。

そんなことはお構いなしに「ホント、かわいいネ ェ~」と嬉しそうにあやし続けていらっしゃる光景です。せめて赤ちゃんに 「抱っこしようか?」と尋ねたりするくらいの心遣いは欲しいと思うのですが ….。「赤ちゃんゴメンネ」って、こちらの方が心の中で呟きたくなります。 .

いつも一緒に生活していない人の〈息〉や〈声〉を赤ちゃんが〈コレは安心 だ〉と確認するには、少し時間が必要なのです。まだ目がぼんやりとしか見えていない赤ちゃんの感覚は、大人に例えれば、真っ暗闇の中で手探りで動いて
いる状態と同じなのです。

そんな時は匂いや声や周囲の気配に敏感になってい ますよね。そんな時、誰かの手が急に伸びてきて触れられたら、「キャー」っ て叫んでしまいますでしょ?

● 少しずつ少しずつ、近づいていく

赤ちゃんは何かに興味があると、それをまずジーッと見つめます。そして更 に関心を持ち始めると、赤ちゃんの方から、そ~っと そっと、ゆっくり手を伸ばしていきます。赤ちゃんとのお付き合いには、この感性が大切なんですね。増田先生のミュージカル「星の王子さま」の脚本の中にも、このことが分 かりやすく表現されています。

キツネ 「いいかい、初めて友達になるには、まず辛抱が大切だよ」
子ども 「しんぼう?」 キツネ 「最初はね、少しはなれて…」 キツネ 「そう、そんなふうに草の中に座るんだ」 ボスキツネ「そして、ワシはキミをチラッと見る」 子 「ボクもキミをチラッと見る」 キツネ全「あとは何も言わない」 と言いながら、お互いにチラッと見合いながら少しずつ、少しずつ、近づいて行きます。

王子さまとキツネさんが仲良しになっていく、ほのぼのシーンの一コマ です。 大人になると、忙しすぎてついつい忘れてしまいがちな、<ふんわりと繊細に生命へ触れる感性>でも赤ちゃんといると、自然にこの感性がよみがえってきます。

やっぱり赤ちゃんは<生命にとって大切なものを教えてくれるエン ゼル>なんですね。今日も赤ちゃんに会えるといいなぁ~。




生まれてくる赤ちゃんへのプレゼント

♪ ちょうちょ

ちょうちょ

菜の葉にとまれ~ ♪

春の野に舞う蝶を追いかけ、息をひそめて近寄り、指先で蝶の羽根が壊れないように、そっと、そっと つかまえたぁ~~!! その瞬間の感覚は、いま思い出しても嬉しくて、体中が ワクワクしてきます。

このように心も体も頭もやわらかな時代に、自然の生き物 のふれあいの中で遊んだ体験は、大人になってもこうして鮮明に体に蘇ってくる ものなのですね。テレビもおもちゃも無い時代には、子ども達はこうして自然を 相手に、朝から夕方まで遊ぶのは当たり前でした。

でも今からお母さんになる人 達の子どもの頃は、もう自然なものより、人工的に作り出されたおもちゃや機械 にふれることの多い時代に変わってしまっていました。最近ではロボット犬も大流行で、看護師を目指す学生の中にも、人にふれることが怖いとか、気持ち悪いとかいう人もいて、驚くこともあります。

だから赤ちゃんを荷物のように無造作に取り扱う、若いママたちが増えてきた のかしら?と悲しんでいる方へ、ちょっと心が明るくなるお話。

それは、妊娠期にはお母さんの体はホルモンの影響であたたかく、やわらかになっていきます。赤ち ゃんをよく分かってあげられる心や体になっていくということです。つまり、この時に妊婦さんが暖かい、たっぷりとしたふれあいに包まれて過ごすと、今度は素直に自然に生まれてきた赤ちゃんに、その暖かいふれあいを伝えていけるようになっていく、ということです。

そしてこれは、妊婦ばかりでなく、年齢、性別 に関係なく、誰もが羊水感覚の環境に包まれれば、赤ちゃんのようにやわらかな心と体が芽生えてくる、ということです。

ボディートークのマタニティ講座は、 大人になり忘れかけていた生命に、やさしい赤ちゃん感覚をもう一度体験し、その手で赤ちゃんを抱いてみたい方にはおすすめの講座なのです。

では今日はマ タニティ講座のとっておきのプログラムである《寄り添いほぐし》をご紹介いたしましょう。

<寄り添いほぐし>

1  ほぐす人は自分が赤ちゃんになったとイメージして下さい。お母さん大好きというように、人に寄り添うのです。

2  次は、横向きに寝ている姿勢になっている相手の背中の側に座ります。しっかりと両手を暖め、その手のぬくもりで少しずつ相手の背中、肩、お腹、足、足 先とゆっくりゆっくり暖めていきます。

3  スヤスヤと赤ちゃんが安心して眠れるぐらいの速さでの波が、体に伝わり続けます。ゆっくり、ゆっくり、ゆりかごのように。

4  暖めたり、ゆっくりそ〜っと体をさすったり、《この部分をしっかりほぐしてあげよう》という意識はほとんど持たずに、二人がお母さんと赤ちゃんのよう
に、仲良く寄り添っている感覚です。

5  ほぐされている人は、いつの間にか眠ってしまう人もいます。「気持ちいいなあ。不思議な世界にいるような、なんだか懐かしい気持ちだなぁ」という感覚 が体に伝わっていきます。まさに羊水感覚の体ほぐしです。

マタニティ講座のプログラムに《寄り添いほぐし》が入れられているのは、赤ち ゃんが生まれる前に、パパにもママにも赤ちゃんと同じ体験をしてほしいという思 いからなのです。

もちろん妊婦であるママだけじゃなく、ババを交代して体験します。“こんなに気持ちいい環境の中で、赤ちゃんは安心して 10 ヶ月過ごしているん だなぁ”

“だとしたら、お腹の外に生まれ出てくる赤ちゃんに、私達はどんな環境を
「あげたらいいんだろう?”と、ババやママが二人でいろいろ楽しみなが ら工夫してくれるだろう、と考えたからです。

寄り添いほぐしの《《手のぬくもり》 格別ですが、それに《暖かい息の声かけ》が加わると、ますます赤ちゃんは大喜び です。




耳をひらく 耳をとざす

心身一如の体ほぐし

サファリ・パークでラッコを見ました。水面で仰向けに浮かんだまま、おなかに 乗せた大きな貝を、両手にはさんだもうひとつの貝で割る様はユーモラスでとても可愛い。
生の貝をおなかいっぱい食べて、ラッコは水の上に長々と横たわります。そして 丸太のようにクルクルとまわります。係の人に聞きますと、ラッコはそのあと昼寝をして、目を覚ますと一泳ぎして、運動を終えて貝を食べて、クルクルまわって、 ということのくり返しなのだそうです。

なぜラッコは食後にクルクルとまわるのでしょう。それは胃がもたれて、苦しい からです。それでまわることによって胃の撹拌作用を助けているのです。顔の表情を見るとわかります。

胃の働きを助けるためだけでなく、人間も時々ゴ ロゴロ転がることは体の各部の調整にとても有効で す。リラックスをして、人に揺すってもらうと更に気持ちよくなります。

その方法のひとつが「ネコがえし」です。猫がノ ビノビと気持ちよさそうに寝転がっているイメージ で行なって下さい。

耳をひらく

弦楽四重奏やソロ楽器などの、繊細で優美な音楽を聴く時は、私たちの耳は開かれています。隅々まで研ぎ澄 まされた音の芸術を、細部まで聴きもらすことのないよう、全ての音を耳に入れて味わうためです。

耳を開いた状態にしますと、鼓膜は積極的に音をキャッチしようとしますから、自らも振動をして受け入 れた音を増幅します。だから大ホールの客席の最後列” も、ステージのピアニッシモも、ちゃんと聴き取ることが できるのです。
鼓膜は更に、音が無くなっても自ら振動をして音を作ります。ほら、ヴァイオリンが静かに最後の音を収める時、弓はもう止まっているのに私たちの耳には音が響いていますね。 その素晴らしい余韻は耳が作っているのです。

ところでクラシック音楽を愛好している人のほとん どがロック音楽には拒否反応です。特にハードロック などは電気音を最大のボリュームでガンガンが鳴り立てますから、思わず耳をおおいたくなるのです。

耳をとざす

これは聴き方が間違っています。ロック音楽は耳を開いて聴くと暴力的な音楽、 す。ビートの効いた強く押し寄せる音楽は耳を閉ざして、体で振動を受け止めるのです。音の細部まで聴きもらすまいなどとユメユメ思ってはいけません。ほとばしる生命が揺すぶられる快感がロック音楽なのです。だから若者たちが好むのです。

さて、ボディートークの体ほぐしにも同じことが言えます。即ち、体ほぐしを受 ける側は、繊細で優しい手には体を開きます。強い手には体を閉じます。従って赤ちゃんや子供、病人や体の柔らかい人には繊細で優しい手が必要ですし、頑丈でガ ンバリ体の固い背中にはまず強い手でほぐしておいて、柔らかくなってから繊細な手でほぐします。背中によってほぐす手を使い分けるセンスも大事ですね。

≪弱い生命には鐵細な手で≫

ネコがえしの方法

1 ウケテは仰向けに寝て両手を頭の上に投げだす

2 そして一方の膝を、他方の膝を越えて立てます

3 シテはその膝に片手を当て軽く揺すっていって、揺れが大きくなったところで、 もう一方の手をウケテの腰に当ててコロ ンと反転させます。 ◎ウケテは揺れに身をまかせながら「アー」と発声します。




いない いない バァ~は生命を膨らませる

赤ちゃんを見ていると、いつも体のどこかをムズムズと動かしています。また 学童期ぐらいまでの子どもたちは、眠っている間にたくさんの寝返りを繰り返して います。もし、このような運動ができないように、体を縛ったままで動けない状 態にし続けると大変! 私たちの体はあっという間に不調になり、病気になっていきます。

このように、ほとんど自分では意識せずに無意識の間に体が動いてしまっている 運動を、ボディートークでは、うごめき-蠢動と呼んでいます。私たちの体は異 和感や不調を感じると、本能的にいつも体をいい状態にしておこうとしてうごめき、 体液や神経やホルモンのバランスを整えていく、素晴らしい力を持っています。

自然の動物が元気なのは、蠢動を豊かに使っているからでしょう。
ところが、私たちが過度の緊張状態ばかりの生活を続けていくと、どうなるので しょう? いつの間にか、《緊張》から《リラックス》へ切り換える体内スイッチ が、働かなくなっていくのです。

これはとても怖いことです。エアコンのスイッ チが冷房のままで暖房に切り換わらないようなものですから。そして、生まれつき 持っている《自分の体をリラックスさせ、心や体の掃除をして回復させている働 き》が、弱くなっていくのです。

そこでおすすめなのが、先月号からご紹介している《グーパー運動》です。今回 は運動する時のイメージも自分で楽しく加えて《ゆっくり足指グーパー運動》へとステップアップしてみましょう。どうイメージするかで、随分、効果も異なってきます。

《ゆっくり足指グーパー運動》
1  手・足の指を「グゥー」と声を出しながら、ジャンケンのグーの形にします。

2  その手・足を、ゆっくり「パァー」と声を出しながら開いていきます。開いた時はしっかり全開ではなく、ゆとりのある伸びやかなパーです。

この時のコツは、例えば自然の花が朝のさわやかな光を受けて、ゆっくり気持ち よく花びらを開いていくようなイメージでやることです。焦らず、ゆったりと、気 持ちよく「グゥー パァー」
3  次に開いた手をそっとゆっくり閉じます。その時「グゥー」。閉じた時も息 を詰めすぎないで、大切なものを自分の体にたっぷりと満たし、そのまま
「おやすみなさい」という感じです。

4  2、3、の動きを気楽に繰り返します。 もうお気づきかもしれませんが、この方法でやると手先・足先のみで動くので はなく、全身あくびをするような動きへ、いつの間にかなっていきます。

5  目も、口も、鼻も、肛門も、耳も、全身が「グゥー パァー」。ガッチリ固 めてしまっている頭の中も「ポカーン」とするイメージで「グゥーパァー」。すると本当のあくびが、思わず次から次へと出てくるかも知れません。 副交感神経が活性化されてきたサインです。

あくびが出るようになった方は、おめでとう! 成功です!  あなたの体が、ボ ディートークの自然体へ変身し始めました。これがまさにボディートークの自然体運動のスタートなのです。オノズカラある本能的に自分を守る為の働きが、体から引き出されてきたのですから。

ボディートークの運動は、どの動きも外からはただ、手先・足先だけが動いているように見えますが、実は、頭ーイメージ・ 心一感情・体ー内動が一つとなった全身運動なので、内がたっぷりと動いている のです。

ですから、たとえマヒして動かなくなっている部分があっても、そこを《《動か そうとするイメージ》を本人が積極的に持ち続けるだけで、マヒ部分への神経が 活性化し、毛細血管への刺激が伝わり、少しずつですが、確実に生命が活性化し ていくのです。

(特に第二の心臓と呼ばれる足の筋肉への刺激を、ミズカラ起こす ことへの大切さは以前お話した通りです)

この《グーバー運動》をきっかけに、きっとあなたは自分の体の声が聞こえて くるようになるはずです。そして次から次へ体の欲求する動きが、内から面白い ように湧き出てくるのです。いいですね。赤ちゃんもそうやって成長し続けてい ます。
さあ、これからは生命がよみがえり、膨らんでいくすごさをいろいろ発見して みて下さい。




自然と対話し生きる(ボディートークの原理)

ドジョウとりでリラックスの中の集中力

このシリーズは今回で最終を迎える。そこでボディートークの感覚がどのようにして生まれたのか、その一端をお話して締めくくりにしようと思う。
私は四十一歳の時、十五年間動めた教職を辞し、ボディートー クの講演や講習を行うようになった。

「先生を辞める時は大変な 決心がいったでしょうね」と、よく人に尋ねられるが、私や妻にとってはボディートークへの道は当然というか、必然というか、 まるで定められた運命であるかのように感じていたから、特に気負いや一大決心があった訳ではない。

だいたいボディートークそのものが、意図して考案されたものではない。音楽教室に暗い表情で入って来る高校生が、一時間の授業の中でどうすれば明るくなることができるか。

また授業が終われば友と肩を組 み、歌を口ずさみ、口笛を吹き、或いは深い満足で微笑みながら帰っていくようになるにはどんな内容を準備すればいいか。 毎日毎日が、その試行錯誤の連続であったし、その授業の積み重ねがボディートークの原理へと導いてくれたように思う。

その意味でボディートークを創案し命名した私自身が、よくぞこんな体系が現れたものだと他人事のように感心しているのである。ただ思い起こしてみれば、ボディートークの基本的な感覚はすでに幼少の頃より培われていたように思う。

そのうちの一つは「ドジョウ獲り」である。
小学五年生の時に、私の父は京都の北山の麓に小さな家を懲てた。田園の真ん中にポツン一軒あるきりで、夏の夜ともなるとカブト虫や蛍が飛んでくる、のどかな所であった。

家の前に小川が流 れていて、農薬を使っていない時代であったから、メダカやドジョウなどがたくさん泳いでいた。それで引っ越ししたその日から私はドジョウ獲りに夢中になった。

ドジョウを素手で捕らえるのは結構むずかしい。まず、水の中の石を丁寧にそぉっと持ち上げる。 するとドジョウがじっと潜んでいるのに出くわす。石を脇へ除けて、両手でドジョウをジワジワと 囲み、包みこむようにして捕らえるのである。
この、両手で囲む時にコツが要る。水の流れを妨げないようにするのである。ということは、流れの隙間に手を差し入れるイメージである。そしてドジョウの横たわっている砂ごと両手ですくうの である。

一匹捕らえるのに随分時間がかかるが、息を詰めないで深く静かに呼吸し、全身を柔らかくして集中する、いわゆる「リラックスの中の集中力」はドジョウとりで得られたのではないだろうか。

川上へ向かって小川の全ての石をめくり、バケツの中にドジョウが一杯になる頃には日も暮れかけ ている。そこで捕らえたドジョウをまた全て川へ放して、翌日再び捕らえる。そんな日をくり返し ていたようだ。

もう一つ「ガンドウ挽き」の思い出がある。ガンドウとはノコギリの大型のものであるが、私は 中学生の頃、冬になるとストーブ用の薪を半分に切るのが日課であった。

胸ぐらいの高さの台に一本の薪を置き、太い針金で固定する。針金の先端にはミシンの足踏板のようものが付いていて、要するにその板を左足で押さえながらガンドウを挽くのである。

薪は二十本ほど一組にして、ワラでくくってある。それをほどいて一本づつ台に乗せ、針金で固定して切るのであるから、手間隙がかかる。ある時フト思いついて、一束まるごと台に乗せ、縄を解かずに切ってみた。

ガンドウの歯はかなり大きいから肩に力を入れて引けばたちまち薪が動いてしまう。すると刃が木と木に挟まれて身動きがとれなくなるから、一回でも失敗はできない。初めはガンドウの重みだけでちょっちょっと挽いていって、切れ目が深くなるほどに大胆に挽いていく。

この時に得た感覚が「足裏にフーッと息を落とす」ということ ー下丹田を通り越して「大地へ息が抜ける」ということ ー 即ちボディートークの深呼吸であった。そして一部分の筋肉に力を入れるのではなく、「ひとつの物事に全身が関わること」更に、薪にその都度聞きながらガンドウを挽くこと 。

即ち「自然と対話しながら生きる」ことを養ったように思う。