1

BTおっぱいほぐし パート2

ふんわりと暖かい手のぬくもりで包んであげましょう

先月 <一人で行なうオッパイほぐし> を紹介しましたが、今回は <二人で行 なうオッパイほぐし> について、実例を挙げながらお話いたしましょう。A子さん はオッパイの悩みで、ボディートークの指導者のSさんのところに相談に来られました。

●A子さんの報告より

1  出産直後
初産でかかった病院は、母乳育児を積極的に勧めていました。ですので母乳が出なくても、ギリギリまでミルクを与えないという方針で、母乳があまり出ないのに、赤ちゃんにずっと出ないオッパイを吸わせていました。我が子は常にお腹を空かせ、泣き続けていました。乳首も痛く、入院中は睡眠時間もとれなくて、赤ちゃんも可哀想で、自分を責めながら、悲しく辛い思いをしていました。そんな時、知人からボディートークを紹介されました。

2  マッサージとボディートークの体ほぐしの違い
痛いところだけをマッサージするのとは違い、 全身をほぐしていただきました。そして自分の悩み が、体にしこりやユガミをつくっている、ということに気が付きました。

3 ボディートークの効果
体はやわらかくなって、楽になりました。また自分で自分の心や体のことが客観的によく分かったことで、精神的に不安定だったのが解消され、心も楽になりました。そして母乳は、とても良く出るようになりました。 赤ちゃんとのスキンシップやコミュニケーションの取り方なども、余裕を持ってできるようになってきました。

最初のブライベートレッスンは、体も硬く、体ほぐしの時の声が全く出 ていません。しかしほぐれていく毎に、どんどん息切れせずに声が出せるようになっていくのが新鮮でした。心の悩みで声も出ないくらい、体を硬くしてい たので、オッパイは出にくくなっていたのです。ボディートークに出会えなかったら分からないままだったと思います。

《二人で行なうオッパイほぐし》
リラックス姿勢をとりましょう。オッパイがぶら下がる姿勢をとります。ブラジ ャーははずします。

《ほぐし手》は、自分の両手をあたためておきます。

《受け手》は、椅子にすわり、テーブルなどにうつ伏せ姿勢で寄りかかります。
次に《ほぐし手》は、首から指先までをほぐしましょう。

《受け手》の片側に寄り添うように座り、首、肩、上腕部、肘、手、指先の順にその部位をあたため、揺すりながら、ゆっくりほぐしていきます。

(あたためる→溶かす→流れをつくる イ メージで)ほぐれたら、最後に首から手先に向かって、ファーッと空気の波が流れ ていくように、なでおろしていきます。

《ほぐし手》は「よく頑張っているねぇ~」 「よく頑張ったねぇ~」とか、「辛かったねぇ~」「我慢したねぇ~」とか、声をか けてあげましょう。

《ほぐし手》は、手先だけでほぐすのではなく、自分の体のや わらかい微振動が、手先から《受け手》の体に伝わるように揺すります。

次に、オッパイをほぐしましょう。再度《ほぐし手》は、自分の手をあたため直 し、やわらかくほぐします。その手でそっと、たんぽぽの綿毛を両手でふんわり、 やさしく包むようなイメージで、オッパイの基底部を包みます。(フワフワおわん をすっぽり両手の中に包み込むようなイメージです)そ~っと、そのおわんの中に 微振動を送り続けます。(オッパイの中が細やかな、あたたかい揺れで動きを続けると、その波でオッパイのしこりや歪みが、ほぐれやすくなるのです。ぶら下がっ たオッバイへの波が、揺れながら、ラセン状を描き、下方へ搾り出されていくイメー ジで)《《ほぐし手》《受け手》ともに、「アー」と柔らかい、あたたかい息で発声し続けます。(その声が細やかに揺れている時は、中身がよく揺れている事になります)

【注意】
・ 決して、強く揺すったり、強くもんだり、押したりしないよう注意して下さい。

・《受け手》「気持ちいいですか?」と、尋ねながらやりましょう。

・不快感や吐き気がくるようでしたら、すぐにほぐすのをやめて下さい。

※オッパイから伝わる、心地良い振動が《受け手》の全身に広がり、ほぐされてい る人がまるで赤ちゃんになって、羊水の中で揺れ動いているようなレベルにまでなれると最高です。




手の掛からない子は息を詰める?

人間はどこかで自分を発揮しないと息を詰めてしまう。 その点イジワル出来る人は押さえ込まれた自分自身を曲がりなりにも出しているから救われていると言えるだろう。
問題は人に極端に気を違う真面目な優等生だ。言いたいことをグッと押さえてしまう自己コントロールが強く、か と言ってうっ積した自分自身を別の形で発散させる器用さも持ち合わせていない。

ある時、一人の母親から子供の相談を受けた。小学校に入学したばかりの男の子の悩みだったが、私はその男の子の体ほぐしをしながら、一緒についてきた小学三年生姉の表情がひどく気になった。

「いや、姉の方は問題な いんです」と母親は言った。「明るい性格だし、友達と よく遊ぶし、弟とケンカはしないし、学校の宿題はキチンと済ますし、ホントに手のかからない子なんです」と。

手がかからないと喜んでいるのは親の都合がいいから であって、子供の側からすれば大人の意に添うようにガマンにガマンを重ねているのだ。 このままいくと中学生か高校生になって、きっとうっぷんを爆発させる。

私が直感した のは、女の子のあどけなさの奥に秘めている自己規制の強さだった。男の子のレッスンを終えて、ついでにということで姉の背中も調べてみた。やはり胸椎七番の気違いのしこりと、言いたいことを押さえている胸椎四番左のしこりがしっか りとある。

「弟とケンカをしてもいいんだよ。言いたいことをもっと言ってもいいんだよ」と話しかけながら私はそのしこりをほぐした。ニッコリ笑って、息が緩んで、女の子は大きなアクビを一つした。
その夜、母親から電話があった。「びっくりしました。早速ロゲンカをしています。 こんなこと初めてです。心のしこりをほぐすってすごいことですね」と声は明るく弾ん でいた。

立って行う「背中たたき」では背骨が縦に積み上げられているため、クッション役をしている椎間板にも重力がかかっています。その状態の背骨をたたくのは無理があります。しかしウケテがうつ伏せに寝ている場合は背骨も横になっていますから一本一本の 椎骨や椎間板に重力の負担はなく、ほぐれやすくなっています。

その背骨を整く握りコブシをつくって、たたくというより落とすという感じで行いま す。肩に力が入るとどうしても強くたたいてしまいますので、初心者は「ホッホッ」と 発声しながら肩の上下動をして、頭や腕の脱力をしておいてから行うといいでしょう。

脱力をして落とすようにたたくことが上手くなりますと、たたいでもらっている方は手の重みが体の中にズシッと入ってきて、しかも背中の表面はたたかれている感じがありません。

ピアノを弾く手はもちろん、料理をしたり物を扱っ たり、植物の世話をしたりする手もすべてこのような 手ですると無駄なエネルギーなしに楽々と進むのです。
その意味でも積極的に人の背中を借りて「背骨たた き」で柔らかくて重みのある手を習得してください。

さて背骨を上から下へとたたいていますと、時にピ リッと痛みの走る個所があります。そこは神経が圧迫されている所ですから、周辺も含めて少し念入りにた
たきます。周辺の筋肉が柔らかくなり、骨が本来の在 り方に戻りますと、たたいても痛みはなくなります。

「背骨たたき」の方法
ウケテはうつ伏せに寝ます。 のシテは横に座り、ウケテの背骨を上から下
へと軽くたたいていきます。 ◎ウケテの声が「ウッ」と詰まる所がシコリ やユガミのある個所です。周辺の筋肉も含 めて少し多めにたたいてください。




肩身をほぐしてニオイをぬく

悩みをかかえて個人レッスンを受けに来る人達の背中ほぐしを しますと、シコリやユガミがとれたとたん、背中からニオイが出ます。
鼻にツンとくる、決して良い匂いではありませんが、背中ほぐしをしている最中に突然発せられます。そのとたん体がフッと柔らぎ心の悩みが和らぐのです。

ニオイを発するのは縮めていた皮膚が緩んで毛穴や汗穴が開くからです。ニオイの元は緊張した皮膚下に閉じ込められ、溜め込まれていた老廃物です。閉じ込められている時間が長いほどに老廃物は発酵しますから、開いた孔からやっと外に放出された時は相当のニオイとなりま す。

ご存知のように、皮膚も呼吸をしています。即ち、体表近くの毛細血管から炭酸ガスが放出され、それと引き換えに酸素を取り入れています。
心に悩みがありますと息を詰めますが、それと同時に皮膚呼吸も閉じさせてしまいます。

特に前身は気管支に最も近く、その周辺の皮膚も痛めやすいのです。
その意味で背中ほぐしのプログラムのひとつである「息の栓抜き」は肩身の詰まりを取り除く方法ですが、この時は特にニオイが出るので別名「背中の毒抜き」と言っている程です。

ある時、ヤセ細った中年の女性がみえました。顔色も黒ずんで肝臓の機能がずい分低下している様子でした。体がだるくて起き上がる気力が出ないとのことです。
うつ伏せに寝てもらって背中ほぐしをしたところ、肩身の狭さがほぐれるほどに、ウィスキーのニオイが強烈に出始めました。胸椎三番から五番の周辺が特に詰まっていますので、その個所を十分ほど念入りに揺すると、本人は泣きたくないのに涙が次から次へと溢れ出ました。そしてニオイはレッスン室いっぱいに充満しました。

あまりの悪臭に私は窓を全開しました。そして女性はニオイと涙を出すだけ出したらカラッと表情 が明るくなり、ポツリポツリと自分のことを語り始めたのです。恋人を追って地方から大阪へ出てきたものの、会うことはできず、嫌々スナックに勤め、生計を立ててきたが、毎晩飲まなければならないウィスキーで体を壊し、先行きがとても不安だ、というのです。

その後、一週間に一度ボディートークのレッスンに通う毎に涙とニオイは少なくなっていき、顔の血色もよくなって気力を回復していきました。仕事も昼間の事務職に替えたということでした。

ウツ病の人なども背中をキュッと固めてニオイを体内に閉じ込めています。その背中をほぐすと 精神安定剤はどの薬もニオイがワッと出てきます。そして薬のニオイが出てしまうと元気になっていくのです。

もちろん健康な人でも心に悩みがあればそれなりのニオイを閉じ込めています。そういう人は息がほぐれたとたん一瞬ニオイがします。ニオイが出れば背中ほぐしは終了です。

「肩身」とは肩甲骨と肩甲骨の間です。個人的な悩みが深くなると息を詰めるようになりますが、息を詰めるということは、この肩身を固く縮めているのです。
特に胸椎3~5番に、まるでコルクの栓をしたように、きゅうくつ に肩身をせばめているので、「息の栓ぬき」をすることが大事です。
「息の栓ぬき」を適切に行いますと、ストレスを溜めている人ほど強烈なニオイが出ます。

数年前から定例会やセミナーに体ほぐしの実習プログラムを入れていますが、初めの頃はこのニオイをキャッチできる人がほとんど、 いませんでした。私が「息の栓ぬき」をして「ホラ、今、このニオイ!」と言ってもキョトンとしている人が多かったのです。

ところ が最近では「ニオイが出た」と報告する人が増えました。体ほぐしの腕が上がるほどに的確にニオイもキャッ チできるようになります。

「息の栓抜き」の方法
1.ウケテはうつ伏せに寝ます。

2. シテはその背中にまたがって、一方の膝を立て、背中に座り込まないようにします。

3. シテは両手の親指をウケテの胸椎3~5番のあたり
に当て、下から上へクイックイッと揺すります。

4. その間、ウケテは「アー」と発声します。

5. 親指は皮膚をこすらない程度に軽く乗せているだけ
です。決して指圧のように強く押さえないでくださ い。ニオイが出て声がつながれば成功です。




おっぱいほぐし パート 1

ふんわりと暖かい手のぬくもりで包んであげましょう!!

妊娠、出産、授乳、子育ては、女性の心と体に大きな影響を及ぼします。この時 期は、女性の持っている自然の力がもっとも膨らむ時期です。ですから、内なる自然の力をうまく引き出す様に心がけると、楽に豊かに過ごすことができます。

ところで「オッパイほぐしのご経験は?」『長い10ヶ月もの妊娠期を過ごし、出 産を終え、「あ~うれしい!」と生まれたばかりの赤ちゃんを抱きしめながら、感 動、祝福のひとときをと思っていたのに、エッ!どうして? お乳が出ないの?泣き続ける赤ちゃん、悲しくなって涙が出そうになる…。乳頭からは血が滲み、身が 縮むような痛いオッパイほぐし。その辛さをジッとガマンして耐えていました』と話される方が多いのに驚かされます。

そこでボディートークの視点からいくつかの アドバイスをしてみましょう。
最初は、妊娠する前からやっておくと効果的な、体ほぐしと運動の紹介です。

● 全身をやわらかく、しなやかにしましょう
1  四つん這いオッパイブラブラ運動(ブラジャ ーは外して行いましょう)
・四つん這い姿勢で「ア~」と声を出しながら、 オッパイもお腹もブラブラゆっくり揺すりましょう。

・乳頭部には触れないで、オッパイの基底部の ところにそっと手を当て、「アー」と声を出しながら乳房をやさしくブラブラ揺らします。 ※毎日寝る前に、自分のおフトンの周りを2周ぐらい「アー」と言いながら、気楽 にゆっくり歩き回ることを勧めています。

2  首・上腕部ほぐし

首のまわり、肩、上腕部、手の部分の筋肉を柔らかくほぐします。

3  片手 ブラブラ、ストン
・ 片手をバンザイするように頭上に上げ、その状態で手をよく振ってス
トーンと下に降ろします。「アー」と声を出しながら行います。

4  肩の荷おろし
片肘を曲げ、「ホッホッホッホッ」と発声しながら、 その肘を上下動させて肩に波を送ります。首は曲げた肘の方に傾けます。

※3、4は続けて行い、もう一方の手も同様に行います。

5  四つん這い 肘ブラブラ (エアー雑巾がけ)
· 四つん這い姿勢で片肘を曲げ、雑巾がけを行なうイメージで肘の先でタテ、ヨコ、ナナメ、マワスと方向を変えながら動かします。肘を床から少し浮かせ、 声は「アー」とか、「ホッホッホッ」とか、自分の息が楽になる声掛けをします。
・ 反対の肘も行います。

こうした運動を、発声を伴いながらすることで、上半身の筋肉、特にオッパイに つながる筋肉がほぐれてやわらかくなり、その部位の血液は神経の流れが良くなるのです。どの動きも、ただ動かすのではなく、まるで自分が赤ちゃんになってお母さんの羊水の中で気持ちよくユラユラ揺れているような、心地良いイメージを大切 にしながらやってみましょう。

ところで、どうしてオッパイが出ないのか?その理由は様々ですが、オッパイが 出ていたのに、突然の精神的なショックでオッパイが止まったというのはよく聞く話ですね。それほどオッパイが出るかどうかは、精神的要因が大きいのだと考えられます。

動物も人も、自分の身が恐怖や危険にさらされると、体を固くして、自分の身を自分で守ろうとします。出産はまさに自然の営みそのものですが、生命がけで全精力を使い切っての営みです。初産でしかも難産だった方であれば、 体のあちこちを固めてしまうのも、当然のことでしょう。ですから、どうか「どうして私だけオッパイが出ないの」と、一人で悲しんだり、自分を責めたりしないで 下さい。まず「よくやったねぇ」「偉かったねぇ」と労わり、誉めてあげて下さい。

ふんわりと暖かい手のぬくもりで、傷ついた心や体を、そっとやさしく包んであげ て下さい。その暖かい息と手のぬくもりの中で、気持ちもホッとゆるんで楽になる 中で、ホルモンの分泌を活発になり、オッパイも出やすくなっていくのです。

でも、自分の身を自分で守るために固めた体は、自分の手では、なかなか緩まないものです。そこで次回は、《《二人で行なう体ほぐし》でのオッパイほぐしにつ いてお話させていただこうと思っています。




心身一如の 体ほぐし

「ふれあい」という言葉はいつ頃、誰が言いだしたのでしょう。 人と人とのお付き合いが、お互いの体に触れ合うことから始まるのだと指摘して、言い得て妙、の表現です。現代の私たちは体を触れ合わないで話をするだけでも「ふれあい」と言っていますが、 この言葉を生み出した当時は、何らかの身体的接触をもって初めて心と心が通じ合うと考えていたのではないでしょうか。

生物学的に人間は接触動物ですから体に触れることの重要性は 精神面にも大いに関係しています。例えば抱かれることの少ない赤ちゃんが、情緒不安定になりがちであることはよく知られています。また心におびえがあったり、不安感の強い子供はしっ かりと抱きしめる必要があります。

しかし抱く側にとっても身体接触は大きな意味があるのです。母親は赤ちゃんを抱きしめ ることで深い満足感と幸福感に浸ることができます。若いお父さんにとっては赤ちゃんをお風呂に入れる時が肌と肌を直接触 れ合うことのできる絶好のチャンスでしょうね。

赤ちゃんを抱 くことで我が子の実感を得、子供との身体レベルでの絆が結ばれるのです。また老人が赤ちゃんを抱きたがるのもわけがあります。老人にとって赤ちゃんの柔らかく弾む生命を、肌でじかに感じることが、自らの体を蘇らせ心を癒すことになるからです。

会社の人間関係でも、身体接触は大事だということで、かつて「ニコポン運動」とかが提唱されたことがあります。上司は部下に対して積極的に「ニコッ」と笑いかけて「ポン」と肩をたたこうという主旨です。今は「セクハラ」が大きく取り上げられる時代になりましたから、男性の上司が女性の部下の身体に手で触れるだけで問題になりかねません。だから「ニコポン」なんて影も形もあり ません。

しかし「ニコポン」も「セクハラ」も身体接触について大切な意味を教えてくれます。即ち、コ ミュニケーションを深めるには「触れる」ことは基本だけれど「意味のない独れ方」は良くないということです。触れるのだったら相手の心や体がほぐれる「意味のある身体接触」でないといけな いのです。

人間関係に不可欠の「意味のある身体接触」を私は「キー・タッチ(KeyTouch)」と呼んでい ます。相手の固くなった心や体を開く健(Key ) となるタッチの方法だからです。
キー・タッチは柔らかい触り方です。例えばバレーボールを軽く放り上げて受けとめてみてくだ さい。音がするようだと固いタッチです。ボールが落下してくるところへ手をのばし、自らの手もボールと共に手を下ろしながらてのひらにスッポリ納まるように受け止めると何の音もしません。

赤ちゃんを高く差し上げて、ちょっと放り上げてやると、とても喜びますが、この時の抱きとめ方と同じです。ソフトなタッチだと赤ちゃんは安心の中で快い緊張を味わうことができるのです。 これを固くぎこちなく行うと、赤ちゃんは恐怖の緊張を感じるので、無意識の中で神経の過緊張が 生じ、やがて高所恐怖症になったり、運動の苦手な子供になったりするのです。

赤ちゃんが安心して快いソフトなタッチ。犬や猫の背中を揺すってやった時、トロッとしていつまでも触らせるような柔らかさが大事です。
またキー・タッチは温かい手のひらで行います。上達するほどに手は温かくなるのです。

極端に冷え性だった一人の女性が、ボディートークを始めてシモヤ ケにもならず冷え性で悩むこともなくなったのですが、普段 はまだヒンヤリした手をしています。ところが彼女がキー・ タッチで「背中ほぐし」を始めると数分で手のひらがポカポ カしてきます。

気功師の手のひらの温度が上がる実験を、時々テレビで見かけますが、あれと同じです。手のひらからは、遠赤外線や生体は気が出ていると言われていますが、それらの力がキー・タッチを行うことで強く働き 始めるのです。だからキー・タッチは行う側の体を活性化するためにも学ぶ価値があるのです。

肩甲骨ゆすり
ウケチはうつ伏せに寝ます。その背中にシテはまたがります。この時、ウケテの背中に座り込まないように。 そのために、シテはどちらか一方の足を立て、片膝は床に着け、そして各々の肩甲骨に手を乗せ、水平に交互に揺すります。

揺れている間、ウケテは「アー」と軽く発声します。 もともと息を詰めている人は声が途切れ途切れになるでしょう。その声が「肩甲骨ゆすり」を続けるうちにつながり始めます。つながれば気管支がほぐれてきた証拠です。




日本でのモンゴルの赤ちゃん

サラン・マンドホさんは、モンゴルの歌姫です。 若くして留学生として来日し、音楽を勉強しました。モンゴル人のボディートーク会員第1号です。 来日当初、ボディートークのセミナーに参加しましたので、「モンゴルの歌を聞かせて欲しい」と頼みました。広い体育館の片端で彼女が歌いだすと、その声にビックリしました。建物の中の感じが全くなくて、広々とした草原で風に乗って歌声が流れる、というのが実感です。決して大きな声を出してはいないのですが、大地にしっかりと立った力強さから発する伸びやかな声は、モ ンゴルの平原を彷彿とさせるものでした。

そんなに素晴らしい声が、数年後に聴いた時は魅力が半減していました。と言いますのは、日本に留学している数年間で、日本の声楽家にクラシックの発声を教わったからです。もともと歌のテクニックはすごいので、イタリア歌曲などを身につけたのは良しとしても、肝心のモンゴルの歌に草原の風が影をひそめてしまっては、何をか言わんやです。せっかく夢を抱いて来日したモンゴルの歌姫を、もっと大事に指導してほしいと私はヤキモキしました。

サランという名前は「月が昇る」という意味です。そして、やはりモンゴルから日本へ留学に来ている男性と結婚して、赤ちゃんを授かりました、名前はナリタとつけました。モンゴル語で「太陽が昇る」という意味だそうです。このナリタ君のお話をしましょう。

見るからに健康で、ずっしり構えたその風貌は、横綱の朝青龍にそっくりです。ところがこのナリタ君は、よく中耳炎になるのだそうです。またナリタ君だけでなく、モンゴルから来た留学生が、そのまま日本に移住して赤ちゃんを産むケースが多いのですが、その赤ちゃん達が日本にいると特に耳の病気にか かりやすいというのです

モンゴルの子ども達は幼い頃から踝馬に乗り、平原を駆け回る騎馬民族です。 骨格や筋肉をしなやかで丈夫なものに発達させています。体全体で馬の揺れをじ、その波にみずから積極的に乗り、馬と人の動きが一体となって、何の違和感も感じることなく、気持ちよく走り続けます。

走り行く馬の弾む振動は、子ども達の内臓や骨に伝わり、内臓は活性化され、 骨が強化されます。まさに≪馬の背揺らし≫や≪ペンギン歩き≫が、日常生活の中にダイナミックに、たっぷりと組み込まれているのです。ですから、モンゴルの大人の身体はがっしりとして、首も太く、たくましいですね。それでないと、すぐに骨折をしたり頚椎に支障をきたしたりしてしまいます。

モンゴル民族の遺伝子を持つ赤ちゃんにとって、成長をしていくのには上下動は必修事項なのでしょう。日本での車社会や狭い家屋での生活は、身体的にも精神的にも、満たされないものに違いありません。馬での上下動や振り子運動で、バランスを保っていた細胞が動かないので、機能低下になり不調を引き起こす原因になっているのでしょう。

体が揺れたり上下動することで、耳の中のリンパの流れが良くなったり、耳石をコロコロ動かして平衡感覚を保つわけなのですが、日本で育つモンゴルの赤ちゃんは、その動きが大変少なくなりますから、耳の不調に繋がるのではないではないかと考えています。

また騎馬民族は広い草原で体の中から声を出して響かせますが、日本にいると大きな声を出す事もなく、細胞レベルで満たされないものが、モンゴル人の赤ちゃんには重なっているのかもしれませんね。

そんな話をしてナリタ君をお母さんの膝の上で、馬に乗るような要領でピョンピョン跳ねるようにしてもらいました。すると、なんと驚くほど元気に活発に動き出しました。原初的な民族としての長い歴史の遺伝子のつな がりの深さを、赤ちゃんを通して教えてくれているのですね。

骨は重力方向と振動が加えられると、カルシウムの分泌が促され、強化されていきます。揺れ動く耳の振動が直接関与する、人の背骨を刺激したことで、 しなやかで強健な骨格が形成されていくわけです。モンゴル人の赤ちゃんには、 モンゴルの声や動きが大切なのです。




心身一如の 体ほぐし

横浜へ月に一度、日曜日に子供ミュージカルの指導に出掛けます。会場は小学校の体育館です。昼過ぎには多勢の子供たちが所狭しとボール遊びに夢中です。午前の練習を終えて、お弁当もそこそこに走りまわっているのです。

「さあ、集合始めるよーっ」私が一声掛けると子供 たちは跳びはねながら集まってきます。ミュージカルの練習が楽しくて仕方ないのです。ところが体育館の片端で休憩していた大人のリーダーたちの腰が重い。こちらへ来ようとする意思はあるものの体の方が動こうとしていません。

それもそのはず、もともと一週間の仕事疲れが蓄積している上に、朝九時過ぎから会場準備をし、そのあと二時間たっぷり子供たちと共に歌や踊りに精を出したのですから、二十代・三十代の彼らにも結構きつい。

そこで午後の練習は「体ほぐし」から始めます。マッ トを敷きつめて寝ころべるようにし、大人も子供も一緒になって二人で一組をつくりま す。一方の人が手を枕にしてうつ伏せに寝ます。他方の人が脇に座って両手を寝ている人の背骨に当てます。柔らかく連続して背骨を揺するのですが、「アー」と軽く、小さく声を出します。

背骨には自律神経が通っています。自律神経とは御存知のように、意志に関係なく反応し、肺や心臓、胃や腸などを働かせる大切な神経です。その生命活動を維持する自律神経が、背骨を固めていてはスッキリ作用してくれません。

背骨の可動性はその周辺の筋肉と関係があります。即ち周りの筋肉を硬くすると背骨が動かなくなるのです。周りの筋肉の固さは運動疲労によることもありますが、主として心の働きに起因します。

ボディートークで申しています「借金のしこり=頚椎7番」
「肩の荷の重さ=胸椎1・2番」「失恋のしこり=胸椎3番」「気遣いのしこり=胸椎 5・6・7番」「怒りのしこり=胸椎8番」「後悔のしこり~胸椎9番」等々です。

背骨と、その周辺の筋肉を揺すっていますと、背骨に可動性が出てきます。そうすると、たちまち元気が蘇ってきて「さあ、やろう!」という気持ちになるから不思議です。その意味で「体ほぐし」は体の固さをとることによって心を解放する「心身一如の体ほぐし」なのです。

疲れ切っていた大人のリーダー達も、ほんの十分間ほどの「心身一如の体ほぐし」で、 すっかり元気を取り戻し、午後の練習を楽しむことが出来るのです。そしてその夜はグッスリ眠って、翌日からの仕事への活力を得るのだそうです。

「心身一如の体ほぐし」をどのように考案し、ボディートークでいつ始めたのか、私の記憶も定かではありません。確実に言えることは、十年前に協会が発足した頃はまだその方法はなかったということです。そして誰に教わったというものではなく、個人 レッスンの中で必然的に生まれてきたということです。

今では「心身一如の体ほぐし」はボディートークの四分野(自然体法・人間関係法・自由表現法・発声呼吸法 )に加えてボディーメッセー ジやボーカル・ダンスと並ぶ、大変重要なプログラムです。今回よりシリーズで、その原理と方法、効用に ついて述べようと思います。

1.背中ほぐし で元気回復

アルプスの風、背骨の並びをアルプス山脈と見立てます。そのアルプスの麓から風が吹き抜けます。山の頂きへ、そして頂きからあちらの麓へです。風は再びあちらからこちらへと戻ってきます。 風を起こすのは手の平です。手の平の付け根を背骨の脇へ、ソッと降ろします。

両手を相手の背骨にあずけるように 乗せますと、乗せられた人は、手の重みは感じるのに、押さえつけられた不快感はありません。 手の平の付け根が背骨を越えて行ったり来たりすることによって、背骨の周りの筋肉がほぐれ、 背骨のひとつひとつが緩んで可動性が出てきま す。この方法が「アルプスの風」です。




五感を通して伝わる暖かい心

赤ちゃんは、可愛い口元をポッと開いてアクビをします。その仕草はとても微笑ましく、思わず優しい気持ちになって、見ている私たちまで頬ずりしたくなります。赤ちゃんは周りの気配に敏感ですから、暖かく柔らかい空気に包ま れると、安心して眠りに入ります。

面白いのは、テレビの映像の中のアクビは赤ちゃんには伝わりません。もっぱら周りの生身のアクビに反応するの です。

赤ちゃんの神経はとてもナイーブです。その五感は、周りの人の声や動きをキャッチして、全身で、自然に、素直に適応していきます。迷いも躊躇もありません。動物学で言われている「擦り込み」なども、その代表的な例でしょう。

鳥の赤ちゃんが、生まれてすぐに目の前の動くものを見ます。その動く物体を母親だと認識するのです。その後、ずっとついてまわるようになる話は有名で すね。
世界中の赤ちゃんは、人種を問わず同じ声で泣きます。ところが大きくなる環境の中で、その周りの言葉を身につけていきますから、言葉をしゃべるようになると、どこの国の人だかを判別できるようになります。また言語によって発声の方法が異なりますから、息の仕方も微妙に変化していくのです。

赤ちゃんは「アーアー」とか「ンマンマ」とか、未 だ言葉にならない声を様々に出します。いわゆる喃語です。この発声は極めてプリミティブにして、言語を獲得するための準備にふさわしいのです。赤ちゃんは喃語を発しながら、周りの人々の言語に全身全霊で反応していきます。そっくりそのまま真似をするのです。なので、お母さんや家族の声に大変よく似てきて、電話をしてもお母さんなのか、娘さんなのか、よく分からなくなってきます。

2才半になる女の子が、おばあちゃんに連れられてグループレッスンにやってきました。大人たちが互いに行っている「体ほぐし」を興味深そうに見ていました。いつの間にか私の横にパタッとうつ伏せに寝ました。「みんなと同じように、背中をほぐして!」という無言の催促です。幼児の背中をほぐすに は、特に繊細なタッチが必要です。私は、このタッチを《赤ちゃんを抱く手》 と命名して、かつて女子短大生に教えていました。すべての人に習得してほし い「生命のふれあい法」なのですが、特にこれから母になる女性には必要不可欠な能力です。

帰ってから、おばあちゃんが女の子をほぐそうとしますと、その子はムクッ と起きてきて、「おばあちゃん、城石先生はこんなにしていたよ」と言って、 代わっておばあちゃんの背中を揺すりました。そのタッチの感触はもとより、「 手の当て方、座り方、雰囲気が、まるで私に生きうつしのようでした」と、おばあちゃんが報告してくれました。

私の手の感覚は、女の子の皮膚を通して、 息遣い共々に正確に伝わったのだ、と思います。「脳皮同根」と言われるよう に、体で感じたことは、そのまま脳にイメージとなって刻み込まれるのです。

私は今、看護学校でボディートークの授業をしていますが、心配なことがあります。ナースの卵達は熱心に授業を受けてくれます。とても真面目なのです。 けれど、熱意を込めて話しかけても、何だか機械に向かってしゃべっているような不思議な感覚になる時があります。

彼女たちの眼は、確かに一斉にこちらを見ています。ですが、何か携帯電話のメールを見ていたり、映像の画面を見ているような眼差しに感じるのです。山びこは「オーイ」と呼べば、「オーイ」と返してくれます。しかし彼女たちは、私の呼びかけに対して、応える反応が希薄なのです。眼の輝きが乏しいと言いましょうか、表情の底が浅いと言いましょうか、言葉は悪いのですが「のっぺり」とした印象を受けるのです。

これは一体どうしたことでしょうか。実は 1990 年以降に生まれた子ども達 に見られる傾向なのですが、育った環境が圧倒的に、作られた映像、作られた音、遊び方の決まっているオモチャ等々、反自然的なものに囲まれてきたので す。生身の人の声や動き、人間的なふれあいの場が乏しいのです。

マタニティ講座の中で、「赤ちゃんには毎晩、子守歌をうたってくださいね」と言いますと、「わかっています。子守歌のCDを聞かせています」との答え。「いいえ、お母さんの声が必要なのです」と言いますと、「では私が歌って録音しておきます。」と澄ましておっしゃる若いお母さんもいるので す。

びっくりした私は「お母さんが毎晩、枕元で歌ってあげることが大事なのですよ」と《生身のふれあい》こそ赤ちゃんの心と体を育てるのだ、と説明し ました。




人生五十年は古代中国の名残り

「初老」という語を辞書で引いたことはありますか? 開いてみてショックを受けること間違いなし。どの辞書にも「初老とは老人の始まりで四十才のこと」と記されているから。

四十才が老人とは何たることか・・・。しかし憤慨するには当たらない。これは人生が五十年と考えられてい た古代中国の名残なのだ。
古代中国では人生の各々の時期を四季に例えていた。 即ち春に始まって冬に終わると考え、各々に人生の色合いもイメージして味わい深い表現を創出した。

それでは、若々しく希望に満ちた人生の春は一体、何色か?講演会場で尋ねてみると、圧倒的にピンクという答えが返ってくる。この色は主に女の子の服や持ち物に配される色で、大切にされ可愛がられるイメージだから、現代の 若者はそれだけ苦労もなく幸せだということであろう。

古代中国では若者を未熱と考え、青の色に冠した。即ち「青春」である。
次に夏は何色か? 心身共に充実し、最も活動的な時期である。会場で問うと赤という答えが返ってくる。生命が燃えるイメージは昔も今も同じで、古代中国でも夏は赤と考えた。ただし赤色の顔料が朱であった関係で「朱夏」と称した。

秋の色は少し難しいかもしれない。現代の人は枯れ葉をイメージして黄色と答え ることが多いが、古代中国では白である。「白秋」と言うと、日本人ならすぐに詩人、北原白秋を思い浮かべるだろう。彼は若い頃より、人生をしみじみと振り返り始める時期、白秋という名をもって詩作にふけったのだ。

冬はやはり暗いイメージである。灰色や黒色と考える人がほとんどだが、古代中 国では黒の中でも真っ黒、すなわち「玄冬」である。幽玄とか玄妙などからもわかるように奥深く、とらえ所のないニュアンスがある。

「玄冬」は人生の酸いも甘いも噛み分けた時期で、玄人という語も人生の達人の
意である。玄以外は未だ色とは言えないという思いもあって、素人とは生きることに未だ色も付いていない人という意味である。

さて、人生を五十年と考えた時代では、四季は各々何才に該当するのであろうか。 生まれてから十才までは人生の準備期であって四季には入っていない。そして青春 が十代、朱夏が二十代、白秋が三十代。初老が四十才で従って玄冬は四十代となる。 やがて五十才に達すればあの世からお迎えが来て当然の年齢だったのである。

今、日本は世界の先端を行く長寿国となった。そのこと自体は大変喜ばしいこと であるが、反面、高齢化社会がますます深刻な問題となっていることも事実である。

この問題を解決するには、高齢者が元気に生活を送り、病死ではなく自然死を迎える、 いうことに尽きるのではないだろうか。
どうすれば自然死を迎えられるかについては別の機会に譲ることにして、生物学 的には人間は百二十才まで生きる可能性を持っているようだ。

現代日本は人生八十年というところまで来ているから、今後どこまで延びるか楽しみだが、ボディートークの自然体健康法 「人生百年 を身につけている人については、私は既に人生は百年と考えている。

人生百年となると、四季はどのように配分される か? まず人生の準備期は二十才まで延びる。大人になるまでにそれだけ長い年月が必要になるという ことだ。現に、今の大学生達は自分のことを大人と考えているだろうか? 親掛かりの点からも生活態度の点からも未だ子供時代に甘んじているようだ。

かくして青春は二十代、三十代。朱夏が四十代・五十代。余裕の世代の白秋が、六十代、七十代。そしてやっと初老を迎える。八十才である。

ボディートークでは八十をもって老人と考 える。そして八十代・九十代の玄冬も元気に 楽しく過ごそうと秘策を練っている。




お母さん、お膝が痛いよ~ 立てないよ~

3 才児を持つ母親から相談を受けました、「先生、N子が『膝が痛い痛い、立て ない』って言うのですが、病院で検査をしても、どこにも異常は無いそうで …」「いつ頃からですか?」「ここ1ヶ月ぐらいのことです」「一日中そう言いますか?」「いいえ、特に夕方になるとそう言うのです」

N子ちゃんは、 一人っ子の女の子です。お母さんは働いているので、N子ちゃんは保育園へ行っています。 *1才の頃から、夕方のバレエ教室に親子で通っています。最初の頃は、お母さん にピッタリとくっついて離れず、ちょっとでも離れるとすぐに泣き出してしまっていました。でもこの頃はとても元気になって、同じ年頃の子達と走りまわっていま す。保育園でも活発に動くようになってきたとお母さんが話してくれました。 

「何か、お家で変わったことはないですか?」「ここ一ヶ月、私の仕事が忙しく、 おまけに私の体が不調続きでしたから…。それに引越しも重なって…」そこまで聞 いて、N子ちゃんの背中を「ちょっと背中トントンしてもいいかな?」と尋ねなが ら触れさせてもらいました。いつもボディートークをレッスンの前にやっているの で、すぐに「アー」と声は出ます。

何だか悲しい声です。特に胸椎3番、8番に固 くしこりがあります。「アレ?ちょっと怒っているかな?(胸椎8番から判断)それにちょっと悲しかったんだよね。(胸椎3番から判断)お母さんに抱っこして欲しかったって体が言っているみたいだよ」と言いながら、体をふんわりほぐしてい くと、「そうなんだ」というように、頭をコックリうなずきます。 

N子ちゃんは、保育園で今まで以上に一生懸命元気に活動しています。それで精 一杯頑張った分、お母さんに抱っこしてもらってエネルギーを補充しなければなりません。でも夕方、職場から大急ぎで帰ってきたお母さんは、抱っこする暇もなく、 すぐに夕食の準備、夕食、入浴…と、慌しいばかり。N子ちゃんが「抱っこし て!」と甘えるスキ間もありません。そして、アッという間に時間はすぎて、気付くと、もうおフトンの中という生活が続いていたに違いありません。「抱っこし て!」と上手く言えないN子ちゃんの体は、無意識の働きで、どうにかしてその事をお母さんに伝えたくて、『痛い』という症状に変えて、お母さんにその思いを届 けようとしているのです。 

そのことをお母さんに説明しながら、N子ちゃんの体や膝にあたたかく触れて、 「今日はいっはい保育園で頑張ったねぇ、えらかったねぇ。ごほうびにいっぱい抱っこしようね」と言いながら、心ほぐし・体ほぐしの時間をとってみて下さい、と いうアドバイスをさせていただきました。(おんぶするのも一つの良い方法です。 お母さんの背中のあたたかさを感じながら、お母さんの耳元でお話できるからです)

すると、その夜から見事にN子ちゃんの膝がピッタリと痛まなくなりました。 * 大人の方のプライベート・レッスンでも、突然耳が聴こえなくなるとか、突然歩 けなくなるという例はいくらでもあります。後になれば笑い話のようなことですが、 心と体はつながっているな、と改めて実感させられることが度々です。 

指導者のテストを受けようと決心したある保健師さんが、ボディートークの試験 の前日、突然原因不明で歩けなくなり、這うようにして、次の日試験会場に来られました。でも試験が終わると「アレッ?不思議」どこもどうもなく、スッスッと歩けるのですから…、「試験はこんなにも私にとってストレスだったんですね」と本人も大笑い。

大人でもこうですから、ましてや幼い乳幼児たちは、充分に自分の言葉で自分の思いを伝えられない分、体にアチコチ反応を起こしながら、我が身を守り、我が思いを相手に伝えようとしていることが多いのです。でも、ボディートー クで体に触れることによって、そのことをキャッチしてもらえると、心と体のカギ がスーツと解けてすぐに元気になっていく回復力の凄さも、子ども達はいっぱい持 っているんですね。 

小さなお子さんと接する時、言葉だけにとらわれずに、ちょっと意識を子どもの 声の在り方や息遣いに向けてみましょう。きっと、いろんな心の声が聞こえてくると思いますよ。