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嬉しい涙には魔法の力?

悲しみの涙くん サヨナラ

 ♪ 涙くん  サヨナラ  サヨナラ涙くん また逢う日まで

     君は僕の友達さ  この世は悲しいことだらけ

       君なしではとても  生きていけそうもない  ♪

これはずいぶん昔のフォークソングですが、人は誰しも人生の中で幾度かは、この歌のように “悲しみの涙くん” と過ごさなければならない時もあるようです。でも一度っきりの人生、出来ることなら嬉しい涙にあふれて人生を歩きたいものです。今回は、悲しいことや辛いことがあっても、決してあたたかい心を失うことなく、夢に向かって歩いていこうと教えて下さった、二人の恩師についてのお話しです。

* あたたかい心が蘇る作品

故、佐野至先生は、教育者でもあり、また朝倉が誇る素晴らしい版画家でもありました。ふるさとを愛された先生の作品は、今も地域の至る所に残されています。甘木川の橋の欄干の飾り模様、旧跡、秋月の観光案内としての石版画、いくつものお寺の天井画や壁画、また朝倉の山田インターチェンジ、サービスエリアにある大きな大きな石版画<三連水車と子どもたち>などなど….。

それらどれにも描かれているのは、懐かしいふるさとの情景と、ほのぼのとしたあたたかい人の姿。ジッーと作品を見つめていると、戦前戦後の時代にはあった自然や生活の音や、人の声がどこからともなく聞こえてきます。赤ちゃんの時に抱かれた母のぬくもりまで蘇ってくるようです。

* 歩く道を照らしてくれる

至先生は、、広瀬淡窓(江戸後期の教育者)の流れをくむ教育を受けてこられた方で、ご自身も日本文化に誇りを持つ子どもを育てたい、という夢をかけて、佐野塾を開かれました。そして、私も中学一年生の時、門下生として入門を許され、単に学問だけでなく、人としての生き方を先生の後ろ姿から学ばせていただきました。社会人になってからも、自分の道が見えにくくなった時は、まず先生にお会いすることにしていました。

「あ~、アッコちゃん、よく来たね、元気やったね?」と、あたたかい声の独特の甘木弁でいつも迎えて下さるのでした。版画がかけてある部屋に入られると、ゆったりとソファーに腰を下ろされ、さりげなく先生の世間話しが始まるのです。

お話しを聞いているうちに、自分の心の中にあった悩みやわだかまりが、いつのまにか霧が晴れたように、スッーと消え、自分の歩く道が、おのずと明るく見えてくる、そんな先生でした。

私が33才のころ、アキコダンスファミリーを立ち上げることになったのも「アッコちゃん、やってみてごらん」の先生の励ましの言葉があったからこそ。それからは、いつもニコニコと、舞台作りのひとつひとつを、手取り足取り教え、支え続けて下さったのです。

* 二人の師に見守られて

その舞台が11年目を迎えようとした頃に、もう一人の師、増田明先生に出会えることが出来ました。ボディートークをベースとした、教育的にも芸術的にも高い内容の明先生のミュージカルが、甘木、朝倉で上演することが出来ました。誰よりも喜んで下さったのも至先生でした。

二人の師に見守られながら、私は自分の生まれ育ったふるさとで、夢のような幸せな舞台活動を続けることが出来ました。❝ふしぎの国のアリス❞に出てくる大イモ虫、手押しオルガン、ピーターパンのインディアンの盾などは至先生の舞台芸術としての作品です。

* 作品の奥に流れている熱い熱い想い

明先生と出会ってからは、私の舞台にはバレエ作品とともに、毎年ミュージカルもプログラムに加わることになりました。そして気づいたのです。至先生と明先生の作品の奥には、熱い熱い人間愛、しいては生命愛が山ほど内臓されていることを。だから両先生の作品に触れると、誰もの心があたたかくなり、自分も自分の周りの人も、みんな大好きになり、元気いっぱいになるのだと。

数年前の福岡でのミュージカルは「オズの魔法使い」でした。今まで以上に、とびっきり楽しく、喜びにあふれる演出の作品でした。「嬉しい涙には、魔法の力があるって、おばさんが言ってたわ」これはドロシーのセリフです。この言葉通りに喜びの涙によって魔女のイヴリーンの悪い心が洗い流され、青い鳥へと変身していきます。そして、美しい虹のかかった大空へ青い鳥は飛び立っていくというストーリーです。「いいねぇ みんな仲良しで! いいねえ いっぱいの喜びで!」至先生の優しい声が聞こえてきそうです。

数年前に九州北部を襲った豪雨の被災地、朝倉が嬉しい感動の涙に包まれ復興していきますようにとの願いを込めて上演させて頂きました。




♪ちっちゃな私の花時計~♪

* ご機嫌ほぐしの時計

♪ 大きなのっぽの古時計  おじいさんの時計

    100年いつも動いていた  ご自慢の時計さ

  おじいさんの生まれた朝に  買ってきた時計さ

    今はもう動かない  その時計 ♪

明先生発案の、ご機嫌ほぐしの<大時計>は、まず胸の前で赤ちゃんを抱くような姿勢を取ります。次に両手のひらでソッと両肘を包み、時計の振り子が揺れるようなイメージで、この歌に合わせて動きます。動きの途中で「ボォーンボォーン」と発声しながらの胴震いも入りますが、太く、ゆったりとした温かい息で歌うと、まるで温泉に入っているような心地よい気持ちになっていきます。

「歌は語るように、セリフは歌うように」と、明先生はおっしゃいますが、心を込めて、語るように口づさみながら大時計の動きをすると、不思議に昔のことが思い出されます。

私はおじいちゃんっ子でしたから、♪おじいさんの時計~♪のフレーズになると野花の咲く田舎道を、祖父の背中におんぶされて歩いていた感覚が蘇ってきます。みなさんの大時計の思い出はどんなものですか?

* 日直の日はご機嫌

私の生まれた昭和20年代は、戦後のベビーブームで団塊の世代と呼ばれるベビーが次から次から生まれ、国中に子どもがあふれていました。そのころ小学校の先生をしていた母は、私がまだ眠っている早朝に出かけ、帰宅するのは夜遅くという毎日を送っていました。母と顔を合わせることが出来るのは、唯一、日曜日だけ。ですから当番制の日曜日の日直には、私も一緒に連れて行ってもらっていました。

小学校はマンモス校で、海外視察までして創ったと言う、今でも建築物として高い評価を得ている、美しく立派な校舎でした。何棟もある校舎の中央は大ホールとなっていて、小さな展示会も催されていました。

広くひっそりとした休日の廊下を歩くと、足音が響きぞくっとするくらいでした。二階につながる広い階段は、映画「風と共に去りぬ」で観たレッドパトラーがスカーレットオハラを抱きかかえ、一気に駆け下りるシーンに出てくるようなオシャレな建物でした。

階段の途中に、左右に分かれるためのスペースとなっていました、その中央の柱に大きな柱時計がかけてあったのです。時間になると「ボォーン、ボォーン」と誰もいない校舎中に響き渡っていきます。「いいなぁ~」その音を私は一人占め。いつもは母のクラスの生徒さんに取られている母も一人占め。それに一人占めの図書館で好きなだけ本を読んだり、一人占めの音楽室でピアノを弾けたり御機嫌いっぱいの日曜日でした。

その学校に母は10年近く勤務していました。私は赤ちゃんのころから、日直の毎に大時計に出会っていたわけです。その大時計もひょっとしたら100年休まず動き続けていたおじいさんかもしれません。

母の生命の時計もずいぶん古くなっていて、今は92才。日々認知症が進行しています。でもデイケアで「城石先生!」と呼ばれると、パッと表情が晴れやかになります。すると再びネジを巻いてもらった生命の時計がチックタック、チックタックと動き出します。すっかり昔の時代に戻って、周りの若い人たちは、みんな自分のクラスの生徒さんたちに見えてくるのです。その頃が母の人生の中で一番充実して輝いていたのでしょうね。




ポカポカ スクリーン完成

オフロの中で赤ちゃんになろう

♪ いい~湯だなぁ~ いい〜湯だなぁ~ ♪

と鼻歌が出てきそうになるのは、寒い冬の日、体の芯まで冷え切って帰宅し、 お湯をいっぱいに張って、湯船に入った時。 ほーっとするその心地よさは何と も言えませんね。 そんな時、「 あ一日本人に生まれてよかった」と思われませんか? 世界の中でも日本のように水が豊富で、毎日オフロに入れる国なんて、 そうそうありません。

湯船に入った時の私たちの姿勢は、赤ちゃんがお母さんのお腹にいた時の姿勢にそっくりです。ですから「毎日、羊水の中の赤ちゃんに戻れている?」 時間がある日本人には、おだやかで優しい心が育ちやすいのかも知れません。

私がかつて New York で毎年数か月を過ごしていた頃、ホテルの浴槽に浸かるのが怖くて、 (New York ではエイズ患者がウヨウヨですから、何となく気持ち悪くて)シャワーだけにしていました。

一日中大好きな踊りを踊って過ごせて充実していたのですが、どことなく心淋しさがあり、それが何故なのか分かりませんでした。 そして帰国して、自宅のおフロに入った時、「あ~幸せ!」 と心の奥から嬉しい気持ちが涌いてきて、「あ~、 これだったんだ、 私の淋しさは」と分かったのです。
あたたかいお湯に包まれての安心感がこんなにも大きいとは思いもよらな い事でした。

* 羊水感覚の環境づくりーふんわりと繊細に

エンゼルハンズのセミナーでは、 「羊水感覚の環境の中で、 生命は育まれる」という視点で五感を磨き、心と体をふんわりと育んでいこうというプログラムがいくつもありますが、これは特に赤ちゃんや生命が繊細になっている人 たちと接する時には、大いに役に立つものです。

でもそんなことを、ことさらに言わなくても、すでに無意識レベルで五感が磨かれていく自然環境や生活習慣が、日本にはたくさんあるのはありがたいことです。

例えば≪触感≫ひとつとっても、入浴の習慣や素足で畳というやわらかい 床の上で寝起きすることなども、他の国に比べるとより繊細な感覚が育ちやす い環境と言えますね。 せっかくですから自分の持っている感性に磨きをかけて いってみたらいかがでしょう?

服の素材や色を選ぶ時、 ≪おだやかな心を育てるには、どんなものがふさわしいのかな? ≫ って、 ちょっと意識するだけでも、羊水感覚の感性が身についていくかも知れません。

* スクリーン完成

明先生がミニ・ミュージカル 「月からきたうさぎ」の舞台背景としてのスクリーンについて述べていらっしゃいましたが、 遂にその スクリーンが完成しました。 巾10m、高さ2m50cmのオフホワイト (淡い乳白色)の綿素材の布の真ん中に、1000年生き続けた大きなブナの木が、 緑色の葉っぱをいっぱいつけて立っています。 それを囲むように、さわやかな 色とりどりの木々たちが立ち並ぶ森です。

このスクリーンを始めに見たのは、2月の宿泊セミナーでした。 会場にスク リーンが立体的に広げられると、「ウァ~!」と私は思わず声をあげてしまい ました。「何てあったかくて、やさしい森なんでしょう!!」 よく見ると木の葉の1枚1枚が、一針一針縫われています。 布地にペインティングしただけで なく、とても手のかかった作品です。

この物語の後半で、ブナの老木は自分の生命の限りを尽くして風を起こし、 人間から殺されそうになる金の小うさぎを月へ帰してやり、死んでいきます。 力を使い果たし枯れていくシーンは、ブナの木 の布がスクリーンから上手くはずされ、下へ落ちていくよう工夫されています。

悲しむ森の仲間たち。 (森のうさぎ、オオカミ、キツネ、シカ、 鳥、木の精)
でもその枯れた木のすぐ傍には、 新しいブナ の小さな若い芽が吹き出し、 スクスクと伸び始めています。

この感動シーンは、卵色の布に画かれたグリーンの若葉が少しずつ上へ伸びて行くように仕掛けがしてあります。 布地の持つ独特のやわらかさが、このストーリーのイメージを更に膨らませていきます。 (秋の風景、 月の光、雪のシーン、 大風が舞うシーンには、セミの羽のように透明でやわらかい5mの色ゴースが風に揺れ動きます)

≪ポカポカスクリーン≫

このスクリーンのアイディアは、もちろん明先生。 そして制作は、去年、 ミュージカルアラビアン・ナイトでかわいい赤ちゃんラクダを作って下さっ た、岩井るり子さんです。 他にも、ボディートーク協会の長岡さんや、 娘のちえちゃんや、ボデートークの仲間たちが一緒になって、一針一針縫いながら出来上がったものです。 そして岩井さんも長岡さん (一月に初孫誕生)も、目の中に入れても痛くないお孫さんが生まれられてからの作品です。

親、子、孫と三代に渡ってボディートークが受け継がれている仲間たちで、作成されたこのスクリーンを背にすると、どことなく背中がほんのりポカポカ してきて、体中があたたかく包まれていく感覚になります。

まるでおフロの 中に入っている様です。 そして私はふっとこんなことを思いました。一昔前までは、うまれてくる赤ちゃんの産着やおしめは、母親やおばあちゃんが一針一針、 その誕生を待ち願い縫ったもの。 貧しい時代だったけれど、私もそういうあたたかい想いに包まれ、 生まれ、育てられたのだと。 だから今 の私があるんだなぁ~って・・・。

手のぬくもりが添えられ、 熱い想いで生命のあたたかさを伝えていくって 素敵だなって。 (今は産着もおしめも市販のものが使われています が…)

いよいよ本番間近が、 広島の庄原の500名の園児たちが、この≪ボディ トークの森のスクリーン≫に包まれ、 どんな心を膨らませてくれるでしょ う。ワクワク、ドキドキです。

そしてこの、「月からきたうさぎ」のミュージカルを、 1月29日、100 才で天国に召されていかれた、 増田明先生のお母様 (増田美和様)に、心か ら感謝を込め、 捧げながら、演じさせていただきました。




たんぽぽの綿毛がそよ風に舞う

* たんぽぽの綿毛が風に舞う

「アッ!見つけた!」と近寄り、 そっと手に取ったとたん、あっという間に フウァッフウァッ と、たんぽぽの綿毛が風に舞い始めました。 何だか嬉しくなって、両手を舞い飛ぶその綿毛にかざしながら、 私はいつの間にか春の野を走っていました。

こうして無心に遊んだ幼い日。今もふんわりとした感覚が、 思い出とともに体によみがえってきます。

≪ふんわり ≫ のイメージは
人それぞれでしょうが、 太陽にたっぷり干したフカフカの お布団とその匂い、 祭りばやしを聞きながら口いっぱいに頬張ったフカフカの綿菓子など、どれもイメージするだけで心がほんわと和むものが多いですね。

≪おばあちゃんの手はイヤ?≫
最近、私の知人達から次々に「初孫誕生」のニュースが報告されます。特に初孫ともなれば、 可愛さ余って“さぁ~、これからいよいよボディートークの赤ちゃんほぐしの出番” と張り切ってしまうのは、当たり前のことなのでしょうが…

「抱っこしている時はニコニコしているのに、 ちょっと体ほぐしをしてみようと背骨に触れると、 イヤッ! と言わんばかりに、 すぐに私の手を払いのけようとするのよ。とってもやさしく、ふんわりと触れているはずなのに・・・ と、悲しそうな新米おばあちゃんのK子さん。

「それはね。 その時、赤ちゃん の背中がどうなっているか知りたい、 探りたいという気持ちばかりが強く働きすぎていたからじゃないのかな?」と尋ねると、「うーん、確かにその通りか も?・・・」との答え。

「でも、どうすればいいの?」と悩んでいるK子さんに、≪赤ちゃんを抱く手≫の5つのパフォーマンスのうちの一つ、 〈包む手〉の ご紹介をしてみました。

《赤ちゃんを抱く手包む手》
1  二人組になります。 Aは赤ちゃん役、 Bはお母さん役です。

2  Bは両手をしっかりとすり合わせ、暖かい手をつくります。

3  BはAの左横に座り、 自分のオヘソをAの体側に直角方向に向けます。

4  Bは暖かくした左手を、Aのウムネ(おっぱいの少し上のところ)にそ っと当てます。 右手は、左肩甲骨に触れます。 Aの体全体を両手ですっ ぽりとやわらかく包み込むようなイメージで、軽くAの体をゆすりなが ら暖めていきます。

実験  その1
BはAを〈私がいるから大丈夫。 しっかり包んであげる よ〉というイメージで暖め、 ゆすります。

実験  その2
Bは、今度は赤ちゃん役になったつもりで、〈お母さん、 大好き~〉と、 赤ちゃんがお母さんにたっぷりと甘えるようなイメージで、自分の体をAに寄り添わせながら、Aの ウムネと肩甲骨を包み、 暖め、 ゆすります。
5 1~4までを、 A B 交代して行います。

結果
·
実験その1 その2 を比較すると、その2の方がやわらかく、 暖かく、ふんわりと体全体が包まれた感じがします。たんぽぽの綿毛をゆらす風のように、このパフォーマンスを体験すると、❝やってあげる❞というイメージを持つ だけで、時としては、相手に圧迫感を与える強さとなって伝わっていることもあることが、お分かりになられると思います。

反対に、 赤ちゃんが無心にお母さんに甘えて抱っこされる時、抱いているお母さんは、 実は赤ちゃんから、あ ったかいふんわり感覚をもらっているのだ、ということにもお気づきになられるはずです。赤ちゃんの心や体は、大人より更にやわらかで、繊細で、敏感なセンサーが働いています。ですから、さり気ない≪たんぽぽの綿毛をゆする春 風のような≫タッチが、 赤ちゃんは大好きなのです。
♪ 誰が風を 見たでしょう 私もあなた も見やしない
   けれど木の景をふるわせて 風は通りすぎてゆく ♪

と、この歌にもあるように、色も形も見えないけれど、 いつもそっと傍にいて、 やわらかく心を受け止め、 包み、ともに共鳴してくれる風のような存在。 そん な風のような存在に変身できれば、赤ちゃんとのお付き合いも、よりスムーズ になっていきます。

その第一歩として、今日からまず 「フウァ~ッ」といいながら、春の風のように歩くこと、 動くことから始めてみられたらいかがでしょう。 そして、その風の手で赤ちゃんの背中に触れてみて下さい。 きっと赤ちゃんは、これまでに 見たこともないような幸せなほほえみをあなたに見せてくれるはずですよ




永遠の現在に生きる

どんな夢が花開くのでしょう?
今年どんな夢を膨らませていらっしゃいますか?

今年は、 ボディートークが誕生して40年になろうかと言う年でもあります。 ボディートーク Babyも全国で次から次へと誕生し、おめでたが重なる、 喜びのHappy  New  Year!です。

歩いてきた道を振り返ってみると

新年を迎えると、ちょっと改めて自分の生き方を見つめてみようという気持ちになりますね。 私も70年からの人生を振り返ると、 若い頃には自分では懸命に生きていたはずだったのに、今になると分かっていないことばかりだったのだなぁと、 その頃の姿が微笑ましくなります。

そんな私を、黙って嫌味も言わず、 あたたかい想いで見守り、 育てて下さっ た方々に、≪本当にありがとうございました≫と、 深い感謝の気持ちが涌いてきます。その方達から教えていただいた想いを、今度は次の若い人達に少しで も伝えていきたいと願っているのですが…。

● 素晴らしい人との出会い

それにしても、私は本当に素晴らしい人生の先輩方や恩師達に恵まれていました。今日はその中のお一人、 故川村英男先生のお話をしたいと思います。
先生は、 名古屋大学の名誉教授を経て、 新設の福岡大学体育学部の名誉教授 として就任されました。

もう、なん年も前のことです。 以前にも会報に書いたことがありますが、 体育嫌いの私が4年間体育学部で意欲を持ち、 学び続けられたのは、この川村先生と進藤先生の出会いがあったからこそです。

川村先生は、 ≪人は何故運動をするのか? 人は何故生きるのか? 生きるとはどういうことな のか? ≫などを学ぶ、体育原理という教科を、 進藤先生は≪人の動きを科学科していく≫運動生理学という教科を担当されていました。(私は進藤ゼミでし た)

その時代は、まだ運動処法の分野は無く、 進藤先生はそれを全国レベルで創っていくプロジェクトの第一人者でした。 4人のゼミ生は、共に夢を持ちなが ら、それを創り上げていったのです。

永遠の現在に生きる

私は中学の頃から、学校の教育だけでなく広瀬淡窓の咸宜園の流れを汲む、佐野塾(佐野至先生指導)というところで、 ≪生きる姿勢≫を学ばせていただいていました。 ですから、余計に川村先生に魅かれていったのかもしれ ません。先生の授業を毎時間、心をときめかせながら、一番前の席で聞いていました。

永遠の現在に生きるとは

私達は「永遠の現在に生きています」現在、今、 というのは、この一瞬だけです。一瞬ごとに刻々と過去になっていきます。
また、一瞬先のこと、即ち未来のことは、誰にも、何にも分かりません。 ≪生きるということは、この一瞬、現在を生きることなのです≫
だからこそ、《この今、この現在の一秒、一秒を大切に生きていくこと が必要なのです≫

その頃の私は、大学は自分の期待していたものとは随分異なっていて、「私 は、もっともっと学びたくて大学へ来たのに…」とがっかりすることが多かっ たのです。でも川村先生のこの言葉を聞いた瞬間、 まるで雷光に打たれたかのような感動が全身をかけめぐり、涙が次から次から出てきて止まりませんでし た。

「そうだ! 今の今を輝かせていけるよう努力しよう! 今を、この一秒一秒を 大切に生きていこう!」 グズグズと燻っていた心の中のわだかまりが、 どこか へ吹っ飛んでいってしまいました。

その日から、私の生き方は大きく変わっていきました。 そして大学卒業後、 短大で教鞭を取っていた時も、 現在、ボディートークの各セミナーやプライベー
ト・レッスンをさせていただいている時も、≪このセミナーやレッスンが、 た とえ最後になってもいいように! 悔いのないようベストを尽くそう≫と、 ごく当たり前に、自然にそう思えているのも、 いつも心に≪永遠の現在に生きる≫ という先生の言葉が響いているからだと思います。

喜びの今をひとつでも多く

とは言え、人生はいつもいい時ばかりではありませんね。 そんな時こそ、ボ ディートークの出番です。ボディートークは“この今をできるだけ輝かせて生きていくための生きる知恵” ですから。一日は矢のように加速化して進んでいきますが、 今年も多くの≪よかったね、 嬉しいね。 の喜びの今≫の思い出ができるといいですね。

白い雪をみつめながら

明先生のお母様がいらっしゃった、ホームへ伺った時の事。
ドアを開けると、サロンいっぱいに元気のいいおじいちゃんの、 ♪雪やこんこ~あられやこんこ~♪の歌声が聞こえてきました。
100才になられたお母様のやわらかい、あたたかい手に触れさせていただきながら、窓の外に舞う白い雪を、明先生と見つめながら ≪嬉しい喜びの今≫を過ごさせていただきました。




不思議な鈴の音

あけましておめでとうございます。 と言っても、もう2月も半ばですね。新しい今年どはんな夢を膨らませていらっ しゃいますか?

子どもの頃は「♪もういくつねると~ お正月~♪」と、指折り数えていたお正 月。暮れになると、村中が普段と異なって急に慌しくなり、寒さの中にもピー ンとした心地良い緊張感がみなぎって、お正月がやって来ると、ワクワクしていたものです。

真っ白に張り替えられた障子から差し込む新年の朝の光の中で目を覚ますと、台所からコトコトコト音がして、お雑煮の匂いが漂ってくる。貧しかったけれど家族の暖かさにたっぷりと包まれた、よき時代だったなぁと懐かしくなります。 そんなお正月の思い出の一つに、こんなエ ピソードがあります。

桜のお花のお菓子は宝石のよう!

私が4才か5才の頃の話です。 お雑煮、 数の子、 黒豆、オモチとお腹いっぱいになり、お年玉ももらって大満足。しばらく横になっていました。すると叔母がお抹茶を立て始め、「ハイ、どうぞ召し上が れ!」とお茶菓子を懐紙にのせてくれたのです。 「これ、本当にお菓子なの?」と聞きなおしたいほどに、美しい桜の花の形のお菓子です。 嬉しくてしばらく食卓の上に置いて、 ウットリと眺めていました。

ところが片づけを始めた叔母が、 食卓を拭くついでにヒョイとそのお菓子を自分の口の中に入れ、 食べてしまったのです。予期せぬ出来事に、私は思わず「ワーッ!」と泣き出しました。 驚いたのは叔母です。 「どうしたの?食べ るんだったの?」と尋ねられても、悲しくて涙が次から次へとこぼれるばかりでした。

大切なものを感じる時間

今となっては叔母と笑いながらの思い出話ですが、幼い子どもの心の中にあ る大切なものは、忙しく生きている大人の感覚では見過ごしがちになってしまうものなのかもしれません。

大人になると、 その忙しさに追われ、自分の心の中にある大切なものも見失っていることがあることに気づかされます。 それでもボディートークを知ってからは、一人ほぐし・二人ほぐし・ボディー メッセージ・鈴占いなど、 自分の内を感じたり、 自分の内を知れることが出来、自分の生き方の軌道調整を、その時その時に、出来るようになったのは有難いことです。

体が楽になると心が穏やかになり、客観的に自分を見つめ、 自分にとって大切 なものが何かが見えてくるような気がします。

消えていく鈴の音

ところで皆さんは、いろんな事に悩み、 どうしていいか分からなくなった時、 どうされていますか? 私はそんな時、 誰もいない場所で一人静かに《鈴占い》 をすることがあります。

そして、まず今の自分の生命の在り方を知ることから 始めようとします。 ボディートークに出合って間もなかった頃、首のヘルニア の好転反応で苦しみ、呼吸困難、失神などの症状なども現れていきました。 “私の生命はどうなっていくの? 大丈夫なの?どうすればいいの?”と悩んでいる時、ふと鈴占いをしてみようと思いついたのです。

50 個の鈴がつけられた長いリボンを肩からさげ、トントン、トントンと右足、左足とジャンプを繰り返しながら鈴を鳴らしてみました。 この時、不思議な事が起こったのです。 最初は鳴っていた鈴が、 飛ぶ度に音が消えていって、 全く音がしなくなっていったのです。

「エーッ! そんなはずはない」と更に思 い切って強くジャンプをしたのですが、それでもやはり音は鳴らなかったのです。

外から見れば何度も連続ジャンプが出来ているのですから、しっかりエネル ギーのあるように見えるのですが、 《生命はまさに0地点に立っている》であ ることを、鈴は私に教えてくれたのでした。

“そうなんだ、 今は0地点に立っ ているのだから、じっとただひたすら焦らず待ち続けることなのだ” と思い、 その好転反応を受け入れ回復を待ったのです。 もちろん一年半経って、私はすっかり元気になりました。

鈴おとが、教えてくれた生命の弾み

これとはまた反対に、去年12月の鈴占いでは、 松葉杖で歩くのもやっとの 足で、飛べるかな?と思い、飛んでみました。ところがビックリ。 音は柔らかく豊かで、喜びの音を響かせてくれました。 キラキラ光っているようにも聞こえたのです。

外からは思うように動かない不自由な足なのですが、 《生命は弾 んでいるよ、 輝いているよ》と鈴音が教えてくれたのです。 目を閉じて聞いていると、まさか足の悪い人が飛んでいるようには決して思えない鈴の音だった のです。

外に現れているものと内にあるものがこんなにも異なっていることもあることを、自分の体で体験できたことは、とてもラッキーでした。

それにしても、増田先生は 《内なる生命の声を知る》 「よくぞこのような方法を発見されたものだ」と、その感性に感銘するばかりです。 先生が生み出されたボディートークのブログラムの内容は計り知れないほど、 深く、ひとつひとつ掘り下げていけば、 泉のように生命の知恵が湧いてきます。 今年は、私がボディートークに出合って約30年の年になりますが、 ボディートークの道は私の前に果てしなく続いています。

病気だった明先生もずいぶんお元気になられ、 先生が一粒ずつ心を込めて蒔かれたボデ ィートークの種が、 芽を吹き、 花をつけ、 実を実らせ、 しっかり根を張ってい っています。自分の生命を大切にし、他の生命とともに喜びながら生きていける知恵としてのボディートークが、 今年も全国のあちこちで花を咲かせていこ うとしています。 嬉しいですね。

皆様にとって、 この一年がどうぞ良き年であられますように!!




花のある人生

♪真綿色したシクラメンほど  すがしいものはない 

     出会いの時の 君のようです~♪

花に囲まれて

シクラメンの花が光の中に美しく咲いています。 今あなたの傍に咲いている花はどんな花でしょう。

茶室に飾られる花は、ほんの一輪です。一輪であっても、静寂の中の花を見ていると、心が清らかに穏やかになっていくのを感じます。

以前にも書きましたが、私の幼い頃、 花の大好きな叔母は、色とりどりの花を庭いっぱいに咲かせてくれました。

その花を、ママゴトにたっぷりの花を使い遊ぶことができました。 手に触れる花びらのやわらかさや花の香りに包まれて育っていきました。

小学生になると、 庭の花を手に、 まだ誰も来ていない教室へいそいそ出かけ、黒板の両はしにかけられた竹の筒に花を飾るのです。一日中その花が私を見守っていてくれていたのが、嬉しい思い出です。

中学校や高校は、教室に花を飾るというような校風はありませんでした。生徒会の役員になったとき「花のある校庭にしませんか?」 と提案したとき「賛成!それはいい!」 となり、 生徒たちの手によって、見るみる花のある校庭に変わっていきました。

大学時代、まわりは汗臭い男子ばかりの体育学部でした。全員男子という運動生理学のゼミ室と研究室に入室すると、どの部屋にもお花がニッコリ。お小遣いで買った花でしたが、 「あ~、気持ちいい~」 と花に囲まれ、毎日毎日明け方まで運動処法作成の実験を楽しむことができました。

● パリの夕食会

明先生も、お花が大好きです。 ロンドンに毎年ボディートークのセミナーに出かけ ていた頃の、こんなエピソードがあります。
セミナー期間の合間の三日間をとって、 ちょっとフランスまで小旅行をしようと いうことになりました。

急な思いつきでしたので、 準備もそこそこに駅へ向かいま した。 ところがキップを買う時に 「どうしよう?」 という事態発生。 必要経費の計算ミスで、キップ代金を片道分しか考えていなかったのです。 手元にあるのはホテル代と食事代と少しの予備費。 それ以外は全部、 滞在しているロンドンのホテルのフロントに預けてきたのです。

もう予約列車の出発までに時間がありません。 とにかく乗車したものの、それからは電卓片手に「あといくら?」 と、にらめっこです。予定していた食事代を帰りのキップ代に当てると、 残るのはわずかなお金です。レストランの食事はもちろんキャンセルしました。

市場で果物とフランスパンと飲み物を買って、ホテルの部屋のテーブルに、お気に入りの大判の花柄のハンカチを拡 げ、 ピクニック気分です。 「ささやかだけど、こんな旅行も素敵だね」 と、二人でドキドキワクワクの三日間を過ごしました。

でも何より嬉しかったのは、明先生が 「もちろんお花も買おうね」 と、何の躊躇もなく数本のバラの花を買われた事でし た。 花を飾ってのパリの夕食会。 懐かしい思い出 です。

● 花のある女性

花のある生活はいいものです。 でも花が無くても 「花のような人」 がいてくれるだけで、その場の息がふんわり華やぎますね。 私の友人に 「花のある人」 この言葉 が似合う女性がいます。 特別にきらびやかに着飾るわけでもないのですが、彼女の 佇まい、声、 生き方が 「花」 なのです。

若い頃、 結核を患い、 その後しばらくは元気になって一緒に 「光月の舞」 も踊っていた仲間です。 今は肺の病気でほとんど寝たきりの生活です。 身の周りのお世話は優しい御主人と息子さんがなさっています。

「ゴメンネ、手紙を書くのもしんどくて」の状態なので、もっぱらお互いにメール交換です。 「元気ですか?」 ではな くて、「生きていますか?」 「生きていますよ〜」 「よかった、 生きててくれてありがとう」 「生きててね」。 ちっとも深刻ではなく、 いつもさわやか、電話の声もすっきり、元気でユーモアにあふれています。

時々彼女を訪問している友人に、「一日ひとつでもいいから感動することを見つけて生きているのよ」 と笑顔で話してくれたとか、 メールで送られてくる写真に写る彼女の微笑みは 「なんて 明るくて美しいの?」 と魅かれるのは、彼女の内にある心のすこやかさ、 しなやかさから来るのだなと胸が熱くなります。

ふと気付くと、忙しい日々に、ついついドライフラワーのようになっていきそうな自分を感じた時、彼女の姿を思い出します。 彼女は私にとって≪心の花≫のような、かけがえのない友人です。 年ごとに自分も年を重ねていきますが、老いても 「花のある人生」 を、心がけたいなと思うこの頃です。




青い鳥はいつもあなたの中に

♪ うさぎ うさぎ  何見てはねる   十五夜 お月さま見て  は~ねる♪

<踊ることが大好き>

月の光に照らされ、嬉しくなってはねる、 うさぎさんたちの姿。 微笑ましいですね 。このうさぎさんのように、私たちも美しい自然を前にすると、思わず歌いたくな ったり、踊りたくなってきませんか?

ところで、もし「あなたの寿命があとわずかと分かったら、何をしますか?」と問われたら、私は「朝から晩まで踊り続けたい!」 と、迷わず答えることでしょう。 それほど私にとって「踊ること」は大きな意味を持っています。

< 自分の生命を守る内なる体の声>

私がバレエを始めたのは3才の時でした。 内息だった私は、いつの間にか自分の悲しみや怒りの感情を外に出さず、踊りの中で表現しながら自己解決していくような子どもに成長していました。

しかし、ボディートークに出会う前の20代、大学を卒業した頃、色々な悩みが重なり、 生きている実感が日々乏しくなり、 魂が抜けたようになった姿で教壇に立っていました。

その頃のわたしは、まだ陽の昇らない明け方に起きて、始発の電車で勤務先の福岡女子短大へ向かうようになっていました。 大宰府の丘の上に立つ短大の坂を登り、誰一人いない薄暗い体育館のサブコートの鏡の前で、 レオタード姿でバレエの 基礎レッスンを始めたのです。雪降りつもる凍えるような寒い冬の日も欠かさず毎日、ひたすらにレッスンを続けました。

(もちろん暖房はありません) 手や足の指先まで、全身の隅々まで繊細に神経を行き届かせながら、ゆっくりゆっくりと自分の体を感じながらのレッスンです。 す
ると自分の体全体が空気のように感じられてきて、周囲の気体との境目が取れ、その部屋の空気の一部に自分がなってしまう感覚が生まれてきました。

自分が自然の一部になれている心地よさは不思議な感覚でした。
太陽が昇ってくると、サブコートの窓から差し込んでくる朝の光が部屋いっぱいに拡がっていきます。その光は生命の全てを受け入れ、母親の胎内の羊水のようにあたたかく、やわらかく私を包んでくれました。

するとどこからか「あきこは今ここに生きているよ」 「生きていていいんだよ」 という声が聞こえてくるようになりました。 涙が溢れてきて「そうだ、 私は生きているんだ」という実感が蘇っていくのです。 そんなレッスンを来る日も来る日も続けながら、私はこの時期を乗り越えることができました。

(私は踊りながらボデ ィートークをしていたのですね) そしてこの声こそ、 自分の内にある≪自分の生命を守 る体の声≫だったのです。

● 危機を乗り越えていく生命の力

私たちの生命は進化の過程にストレスがあったからこそ、様々な適応力が膨らみ、これまで生命を繋いで来れたことは皆さんもご存知のところです。 これからは災害や事故、また高齢になっていくなど、 自分の体や心が大きく変化してくことが増えていく時代になろうとしています。

でも私たちの生命の奥には、普段はほとんど使われていない“山”ほどの素晴らしい生きる力が内在しているのです。 それは生命が非常事態になった時にその力を発揮してくれる生命の力です。

今年はリオでのオリンピックの年でもありました。 感動的なシーンがいくつも放映されましたが、私の心に最も残ったのは、パラリンピックに出場したある選手の言葉 でした。 「足を失ったからこそ、私の隠されていた素晴らしい力を発揮するチャン スを得ることができたのだ」 「失ってはいない、 得たのだ」 と。 この選手の目は、どの金メダルよりもキラキラと輝いているように私は感じられました。

● いつもいつも、 あなたの内に青い鳥はいるよ

≪ボディートークとは体のおしゃべり≫です。 あなたはどんなおしゃべりをしていますか? 自分の生命の終わる、その最後の日まで、こよなく自分の生命をあたたかくやさしい息で包み、 「よく頑張ったね」 「えらかったね」 「よく生きてきたね」 と声をかけてあげて下さい、 すると、自分の内なる青い鳥の幸せの声が、どこから かきっと聞こえてくる、 と思いますよ。




目を注ぐ、 心を注ぐ

子守歌は歌の原点

♪ ね~むれ ね~むれ 母の胸に
ね~むれ ね~むれ 母の手に ♪

子ぎつねは、そのうた声は、きっと、にんげんのおかあさんの声にちがいない と思いました。 だって、 子ぎつねがねむるときにも、やっぱりかあさんぎつね は、あんなやさしい声でゆすぶってくれるからです。

これは新美南吉の≪てぶくろを買いに≫ の一節ですが、このシーンを読んでいると、 毎日を慌しく過ごしている自分の息が、スーッといつのまにか清らかで、穏やかな息になっていくのが感じられます。

「子守歌は歌の原点ですよ」 と明先生 がよくおっしゃいますが、それは「私の声キレイ でしょ? よく出ているでしょ?」 とか、 「上手く 歌えているでしょ?」 というレベルのものでなく、愛し子を胸に抱きながら〈目を注ぐ、心を注ぐ〉 母親のあたたかく深い思 いが、そこにあるからなのでしょうね。

● 特別な感覚、感性が冴えわたる時

久しぶりにエンゼルハンズセミナーを大阪で行いました。 このセミナ 一のメインプログラムは、もちろん〈赤ちゃんを抱く手〉。 今回も実習に、こ の中から≪あたたかく、やわらかい手≫を実習しました。

実は、〈赤ちゃんを抱く手〉のプログラムは、10 年前、明先生が糖尿病で入 院され、生命が危ういという状態で、頭が働くのは一日ほんの数十分というよ
うな状況の中で発案されました。

人は、そういう生命が極度に繊細になっている時にだけ感じられる特別の感覚・感性があるのです。 まさに先生の〈その特別の感覚・感性〉で生み出されたものが、 〈赤ちゃんを抱く手〉 なのです。 ですからセミナーで〈あたたかい手や、やわらかい手、 繊細な手、 包む手、 溶ける手〉を伝えさせていただく度に、一日一日を先生がお元気になられますようにと、ひたすら祈りながら看病させていただいたその時のことが思い出されてきます。

● やわらかい手の実習

やわらかい手の実習は、やわらかな直径7cmぐらいのゴムのボールを両手のひらに乗せ、それを投げ上げ、 落ちてくるボールを両手で受け止めるというパ フォーマンスです。 皆さんも、ボールでなくても片手に乗るくらいの軽いものを、手に乗せ、まずやってみて下さい。

セミナーでは、最初に私が「このようにやってみて下さい」と師範し、 次に受講する方達が同じように(?)トライします。実は、これまで数回開催したセミナーで、一回でこの「やわらかい手」 がOKになっ た人は、残念ながらどなたもいらっしゃいませんでした。

実は大切なポイントは≪本当の赤ちゃん≫だと思って、 ボールとお付き合いすることなのです。 だって、赤ちゃんを抱く手の実習ですからね。

私は動く時に、
1 ボールを赤ちゃんだとイメージします。 ボールの中に赤ちゃんの顔や目があるとイメージします。

2 投げる前に、「高い 高い~、やってみる?」 とボールに尋ねます。

3 そっと投げ上げ、 落ちてくる時には、なるべくふんわりと真綿の上に落ちてきたと、赤ちゃんが思ってくれるようにと、 全身で受け止めます。

4 手のひらに戻ってきたボールに、「怖くなかった? 楽しかった? もう一
度やってみる?」と尋ね、次の投げ上げを行います。

そうやってボールとお話しをすると、おのずと自分の息はあたたかく、動きはや わらかく変わっていきます。 ボールを投げている私自身が、 いつしか、まるで赤ちゃんになって「高い高ーい」とやってもらっているかのように、 心も体も弾んでくるのです。

● 心を注がれた生卵は···

もうひとつ、生卵立てのエピソードをお話しましょう。短大のボディートークの授業で、 ≪生卵立て ≫をした時のことです。 「必ず卵は立ちますよ。 決し てあきらめず、 信じて立ててみて下さい。 必ず立ちますからね」と言い、卵を渡しました。1時間近く真剣に、 あれこれ工夫をしながら、ツルツルする机の上で生卵を立て続ける学生達。

やがて、 「ウワァ~立った!」 「立った!」 とい う歓声が、教室のあちこちから聞こえ始めました。すると「ア~ッ!」と言う声がしたかと思うと、 突然、 一人の学生が泣きだ したのです。卵が転げ落ちて、割れてしまったのです。

一生懸命、「立ってね、 立ってね、立つよね」 と願い、 祈りながら手を添え、心を添え、関わっていたのですね。授業後の感想には、「自分でも、あんなに悲しいなんて思ってもみませんでした。 割れた卵が愛おしくて、可哀そうでたまりませんでした。心を込めて関わることの大切さを、卵から教えてもらいました」と書かれていまし た。

私は、この学生はきっと素敵なお母さんになるだろうな、と嬉しくなりました。学生達は自分の関わった卵に、可愛い目や口を書き、携帯で写真を撮り、 割れないようにと大事に大事に卵を持ちかえっていました。 微笑ましい光景で した。

ボールも卵も、 そこに≪目を注ぎ、 心を注ぐ≫と、まるで、 《生命がそこに あったかのように変化していく≫。 自分の心や体が、繊細にやわらかく、あた たかく変化していくその喜びは、クリスマスツリーにつけた星あかりが、 スイ ッチを入れた途端にきらきら輝き始めた時、「あ、嬉しい」と感じる、あの感 動と似ているように私には思えます。
今年も一年が終わろうとしています。 一年間頑張ってくれた、 もの、 人、そ して何より自分の生命に改めて心を注ぎ、「ありがとう!!」 と言ってあげま しょう。
Merry Christmas!! Happy New Year!!




知恵をしぼるには?

♪ もういくつ寝るとお正月~ ♪

しぼる・ひねると力が出る?
今年も残すところわずかとなりました。お正月の準備はいかがですか?ところでお正月に飾られるしめ縄は、何本ものワラをよりあわせ作られていますが、 誰がどこでいつ頃からこういうことを始めたのでしょうね。 縄をなうという知恵は、植物たちのツルを見て、人がここからヒントを得たのでしょうか?人 間の知恵はたいしたものです。

体も筋肉をより合わせ、ひねると強い力を出せることを無意識に知っていま す。例えば、ウンコが固いと「ウーン」と声を出してキバリ、 自然に身をよじっています。これは教えられなくても、誰もがやっていることです。

ところが、 昔は生活の中に必ずあった洗濯物や雑巾を絞るなどの動作は極端に少なくなり、それに代わって軽いタッチで、しかも手先だけでトントンとかスーとか、パソコンやスマートフォンなどを操作する動きが圧倒的に増えてきています。

実は、手先・足先を細やかに、しなやかに動かす様々な動きは、 脳を活性化するにはとても効果のある動きなのです。水道の蛇口もひねらないで手をかざせば水が出てくる時代。 子どもの脳はどうなっていくの? 《身をしぼらないと、 ひねらないと知恵もしぼれないし、ひねり出せないよ ! ≫と危機感を感じている人はいるのでしょうか?

私の家には今も洗濯機はありません。90歳になる母も、洗濯物は手で洗い、手で絞ります。 驚く人もいるかもしれませんが、これが素晴らしい効果につながったお話をこれからいたしましょう。

10年前、明先生が糖尿病で右足先からバイ菌が入り、生命が危ないと言われ、入院された時のことです。その手術をするのにも体力が落ちているので、少し体が安定してからとなりました。 それでも日毎に足は更に腫れていき、 病室には死臭が漂っていました。切断することになっている足は、ただ1日1 回、消毒液につけ洗浄するだけの処置でした。

その足が、 まさか生き残れるとは医者達は考えていなかったのです。でも私はどうにかしてその足を守りたい、 切られるのであっても最後まで大切にしたい、その一念でした。
救急病院ですから、付き添いはできない ルールでしたが、必死のお願いで特別に簡易ベットを入れ、泊り込みの看護が許されました。そして更に私は、「洗浄回数を増やしていただけませんでしょうか?手が足りないようでしたら、代わりに私にやらせて いただけませんでしょうか?」と懇願しました。

主治医の計らいで、これもまた異例でしたが日に3~4回の洗浄をすることができるようになったのです。 洗面器に消毒液をたっぷり入れ、右足をその中に入れます。 病院の処置は数分つけてそれで終りですが、私の手はその足をつけた時、先生のふくらはぎを両手で包むように持ち、 クルクルとまるでコヨリをよるような要領で、中の膿を搾り出す動きを始めていたのです。

何故そうしたのか自分でも分かりませんが、 自然にその動きが出てきたので す。するとたちまち足の膿が次から次へとあふれ出てきて、あっという間に洗面器が真っ白な膿でいっぱいになっていったのです。

こうして丁寧に、時間を かけてやり続けました。そしてその後のウジ虫療法が始まっても、この方法で 足の腐っていく速度を緩和させることができ、一方ウジ虫達は、せっせと腐りかけのところの肉を食べて、新しい肉を再生してくれたのです。その結果、右足は切断することなく、 今先生は、しっかりと自分の二本足でたち、歩くことができていらっしゃるのです。 私は今でも、 洗濯物を絞る度にその事を思い出し「よかったなぁ~」ってニッコリ顔になります。

今年も元気で一年を終わることができそうです。暮れの大掃除、気持ちよく雑巾を絞り、部屋も体も心もスッキリしてお正月を迎えたいと思っています。
(来年はこのしぼり、ひねり効果を使っての体ほぐしセミナーも企画する予 定です)では、皆様もどうぞよいお年をお迎え下さい。