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会長からのメッセージ

増田 明 / ますだ あきら

ボディートーク協会会長

1943年生まれ。京都大学法学部、大阪教育大学特設音楽過程卒業後、高校の音楽科教諭として15年間勤務。その間、バイオリンの演奏活動、合唱指揮、ミュージカル製作を通じて心と体の結びつきを研究し、その内容を体系化して1985年6月「ボディートーク」と命名する。同年11月 ボディートーク協会を設立し、全国および諸外国で、講演や講習会を行い、その普及に努めている。

また青い鳥運動を提唱し、その活動を全国へ広げている。

主な講演テーマ

  • 『暖かい息は生命をはぐくむ』 『言葉の奥に潜む息』
  • 『心・体・頭の働きがひとつになる』
  • 『生命をふくらませるHealing Voice』
  • 『さわやかに・しなやかに・すこやかに生きる』 etc.

なお、子どもや大人を対象に、ミュージカルの脚本、演出、指導なども手がけている。

ボディートークの世界へようこそ

私達の生命は与えられたものです。決して自分で作り出したものではありません。そして与えられた生命は内なる力によって生きていこうとしています。赤ちゃんは泣くことによって、その小さな生命が何を要求しているかを周りに訴えます。赤ちゃんは自分の体の声を素直に聞いて、そのことに反応しています。その「体の声を聞く」ことと「自然に素直に反応する」ことをもって、体とお喋りをする=ボディートークと命名しました。1985年6月のことです。

そして今、私は

と考えています。

このボディートークの知恵と方法が、本当に必要としているあなたへ届きますようにと心から願っています。ボディートークは私の生き方から生まれたものです。≪どこで、どのようにして生まれたのか?≫それを最初にお話ししましょう。

面白がってごきげんに生きる

私の名は明(アキラ)ですが、「ごきげんアキちゃん」というニックネームで呼ばれています。それはいつも私がニコニコしているからだそうです。そう言えば私は幼い頃から好奇心いっぱいで、「今日も何か面白いこと探そう!!」と目をキラキラ輝かせ、早朝から飛び起きて走りまわっていましたから。この好奇心は70代になった今も変わらず、いつもごきげんに生きていく原動力になっています。

ちょっと面白がって、ちょっと工夫して、ちょっとやってみる。そして気がつけば、それが積み重なって創造的に生きる力になっています。実は、ボディートークはそういう精神から生まれました。

バイオリニストの感性の中で育まれる

私の父はバイオリニストでした。ですから私は赤ちゃんの時からバイオリンの音の中で育ちました。

繊細に音を聞き分け、美しい響きで奏でるには、心も体もしなやかでなければなりません。人の声も同じように、しなやかな心と体から、やわらかくあたたかい声が発せられるのです。<息(声)には、その人の生き方が表れる>という生命の捉え方は、バイオリンの音とともに育ったからこそ培われた感性だと思います。

心と体のつながりを発見する

心の悩みは具体的に体のしこりとなって表れる

このことを発見したのは、高校で音楽の授業をしていた時です。ある日、いつもは明るい女生徒なのに、その日はなぜか声にくぐもりを感じました。どうしたのかな?私の好奇心はフル回転しました。バイオリンの弦は強く張ると高い音になり、ゆるめすぎると元気のない低い音になる。その体験から声と体の結びつきを直感したのです。ひょっとしたらと思い、背中に触れてみると、胸椎3番の周囲が固くなっています。話を聞いて失恋したのだと知りました。

彼女に「ア~」と発声してもらいながら、その声を手がかりに背中をトントンと軽く叩きながらほぐしていくと、スッキリした声に変化し、女生徒の切ない気持ちも晴れやかになっていったのです。それから多くの生徒たちの相談を、声を手がかりに体ほぐしをしながらカウンセリングするうちに、様々な心と体の結びつきを発見していきました。

同時にその頃、脚本を書いたり、踊りの振り付けをしたり、高校のミュージカルクラブや大人の劇団も指導していました。ある時、演技指導の中で怒りの感情を表すのに、胸椎の8番(腹が立つ時できるしこり)の周辺を、積極的にみずからしこりをつくると、心も変化し、適確な怒りの感情を全身で演じることができたのです。

この原理がわかると話は早い。自分で体のあちこちにしこりを作ってみて、そのしこりがどんな心を生むのかな?と、ジッと体の声に耳を傾けると、次から次へと心と体の結びつきがわかっていったのです。この事をきっかけに、人が生き生きと元気になっていく生命の在り方への関心が更に深まり、教職を辞して独立することにしました。

面白がって、嬉しがって、創造的に生きよう

それからは、赤ちゃんから高齢の方まで、様々な専門分野の方に、また地域や企業の健康づくり、人材育成の指導など幅広くボディートークを伝えてきました。ボディートークの内容を掘り下げ、裾野を拡げるほどに、心と体をみずからすこやかにし、人との関係をスムーズに保ち、自分の個性を発揮していく生き方としてのボディートークは、更に進化していきました。そして今もまた、私は面白がって、嬉しがってこの知恵をよりわかりやすく、深く、豊かなものとして高めていくことに胸をときめかせています。

さあ、あなたの生命の花を咲かせることを夢見て、ボディートークをはじめましょう!

城石明喜子  / しろいし あきこ

ボディートーク協会副会長・元福岡女子短期大学保育学科教授

1950年生まれ。福岡大学体育学部(運動生理学専攻)卒業後、福岡女子短期大学勤務。その間、ロサンゼルス・ニューヨークにてクラシックバレエ、モダンバレエ、ダンスセラピーを研鑽。また、1982年、交換教授としてスティーブンス大学で日本舞踊を指導。帰国後、福岡にエアロビクスダンスを紹介し、普及に努める。また、アキコ・ダンス・ファミリーを設立し、「卑弥呼」をテーマに公演を続ける。

1993年4月より、大学教育としてボディートークを開講。また、心身医学の、故 池身酉次郎先生と共同研究も行なった。2005年保育科教授を最後に、同短大を退職。ボディートーク協会副会長として活動を始めて、現在に至る。国保事業としての『ボディートーク指導者養成』や『ゴールド・エンゼル・プラン』も企画し、赤ちゃん、妊婦さん、心の傷ついた人、高齢者などの心と体にやさしい『エンゼルハンズ』を全国に広めている。特に保健師・保育士・看護師・助産師・ヘルパー・カウンセラーなどの指導に、積極的に関わっている。

私がボディートークと出会えたのは日本心身医学の父とも言えるべき、池見先生との出会いがあったからです。その出会いについてご紹介させていただきながら、ボディートークへの私の思いをお伝えしたいと思います。

いつでもどこでも誰もが実践できる

福岡女子短期大学の私の研究室に、池見先生から直接お電話を頂いたのは1992年の5月のことでした。先生のことは、日本で初めて心療内科を九州大学病院に創設された方として知っていました。お会いしたこともなく、何事だろうかと驚きながら受話器を取りました。先生は私が紹介された新聞記事をご覧になり「ダンスセラピーについて知りたいので会いたい」ということでした。その記事は、私は日本をこよなく愛し、「卑弥呼」を平和のシンボルとして踊り続ける舞踊家であること、3才からクラッシックバレエを踊り始め、心に深く傷を負った子ども達やハンディキャップのある人達の舞踊指導にも情熱を傾けていること、大学では運動生理学、エアロビクスを教える傍ら、ニューヨークやユタで毎年バレエなどを学び続け、アメリカのスティーブンス大学で交換教授として日本舞踊の講座を担当したことなどが書かれていました。そして最後に、アメリカでダンスセラピーの勉強にも取り組んでいることが添えられていました。

その頃、先生はご自分の求める動きを実現してくれる舞踊家を探していらしゃいました。その後池見先生と何度もお会いする中で、先生が何を求めていらっしゃるのかがはっきりしてきました。

先生のお考えは、

①浄土真宗には「南無阿弥陀仏」という誰にでも唱えられる念仏があり、どんな悪人でも救われるという思想がある。その念仏のように≪動けば心も身体もひとつのものとして病が癒される≫そんな動きを生み出したい。それは治療の域を越えて≪いつでも、どこでも、誰もが実践でき、世の中の人誰もが幸せになる≫ものでありたい。

②これからの時代は西洋と東洋の両方の英知をひとつにして、科学や文化や宗教などがよりよい生命の在り方に向かって進んでいくことが大切である。

そういうものこそが今からの時代にとても大切なのだ、とお会いする度にその熱い思いを何時間も何時間も私に語られるのでした。

日本ダンス・セラピー協会発会式―増田先生との出会い

同じ年の9月、東京で日本ダンス・セラピー協会の発会式が行われました。名誉会長を引き受けられた池見先生の記念講演の実技編を担当する役として私も参加しました。日本のダンス・セラピーが世界に誇れるアート・セラピーとして発展していって欲しい、それが先生の夢でした。(先生の最後の著書は「アート・セラピー」です)そしてこの会で、私は池見先生の求められていたものが「そのままここにある!」と実感する、増田明先生のボディートークに出会ったのです。

当時の私は、強度の頸椎ヘルニア症による頸部の痛み、偏頭痛、視力低下、全身のしびれとマヒなどの症状があり、大きな跳躍運動をすると呼吸停止を起こし、生命の保証はないとドクターストップもかけられていました。人工骨を挿入して手術をすると、もう踊れなくなることを承知の上で手術の日取りも決定していました。

そんな状態で参加していた日本ダンス・セラピーの発会式で体験したボディートークは、ほんの15分間ぐらいでしたが、私の心と体を『一瞬にしてあたたかく、すっきりと、楽しい感覚』にしてくれ、特にパフォーマンスに使われる声の響きに「何かが違う」という感動と興味を覚えました。そしてワークショップの後で増田先生に「手術しなくてもヘルニアからくる症状を軽減できるかも?」とアドバイスを受け、この日から体の内なる声を聞くボディートークを熱心に学び始めました。そして学んでいくうちに、これが私が求めていた大学体育の目指すものであることに気づいたのです。

よりよく生きていくための基礎となるもの

ボディートークは短大を卒業し、社会人、また母親になっていく学生たちが、生涯を通してまず自分の心と体を大切にケアしながら すこやかに 豊かに よりよく生きていく力の基礎なる内容そのものでした。

少なくとも延べ人数100人以上の体ほぐしを実践し、心や体の声を聞けるようにならないと単位は出さないという厳しい私のボディートークの授業でしたが、学生たちは何度もテストに臨みながら最後まであきらめることなく努力し、心と体のつながりを体を通して身につけられた感動を持って卒業していってくれました。

生活の全てをボディートークに

このように、短大での授業(日本の大学でボディートークの授業をしたのは私が初めてでした)も舞踊活動も、全ての生活をボディートークに切り替え、私自身も自分の心と体の声を聞きながら、ひたすらボディートークの自然体運動や体ほぐしをやり続けました。すると私の内なる力が活性化され、すさまじい好転反応が起こり始めました。極度の五感の過敏症、うつ状態、突然の意識不明、頸、手の痛みなどが繰り返されていきました。最後にはほとんど動けず、寝たきりになりました。それでも私の母が私の体ほぐしをやり続けてくれました。

自分の生命の力を信じ、任せる

そしてボディートークを始めて1年半過ぎた春の日、急に突然ワァ~ッと体が楽になり元気になったのです。まるで土の中に植えた種が土の上に芽を出したかのような感覚でした。それからは以前よりも更にしなやかに動きやすくなり、活き活きとした心と体に、元気になっていったのです。回復するまでは、苦しく辛い日々でした。それでも自分を客観的に見つめ、それを乗り越えることができたのは、≪自分の生命の力を信じ、任せる!≫ことの素晴らしさを、池見先生のご本やボディートークで学び続けていたからだと思います。この体験こそが、私が全身全霊を通して得た貴重な知恵です。このことは池見先生が提唱されている≪自然の大いなる生命に生かされている自己への気づき≫であり、ボディートークで言う≪自分の内なる声を大切に生きていく自然の道としての生き方への気づき≫でした。

あたたかい息と手のぬくもりは「生命のふれあい」の原点

私や学生たちがボディートークで得た驚くべき心や体の変化の事例報告に、池見先生はボディートークへの関心を一層高められ、私からボディートークの体ほぐしを受けられたり、福岡のボディートークの会へ出掛けて講演をして下さったり、日本心身医学協会主催のボディートークのセミナーを開いて下さったりしました。

また私は1995年9月の日本ダンス・セラピー福岡大会委員長を引き受けました。その年の池見先生の講演は、アート・セラピーに向けての夢が更に拡がっていました。池見先生は、あたたかい息、手のぬくもりでのふれあいは、生命のふれあいの原点であることを科学的に証明しようと、脳波の測定を発案され、MOAの協力を得て実験を行われました。

私が踊ったり体ほぐしをする前後での手のキルリアン写真効果の測定で私の気は見事に大きく膨らんでいました。同時に測定された脳波においても、アルファ波、シーター波も強く出てふれあいの持つ効果を実証してくれました。この実験に力を得て先生は、次に免疫力とのつながりを確かめることに着手されました。お互いに忙しい合い間を見つけての実験でした。残念なことに、実験途中の1999年2月に先生はご病気で九州大学病院に入院されることになり、この年の6月に他界されました。

あなたの生命にこよなくやさしく、あたたかく

人との出会いは不思議なもので、池見先生との出会いが私と明先生との、そしてボディートークとの出会いへとつながったのです。池見先生が求め続けられた、<いつでも、どこでも、だれもが幸せになれる生きる知恵>を、今こうして私がボディートークを通して人に伝えていこうとしているのも、何か不思議なご縁を感じます。

ボディートークに出会って28年、私も今年70才になります。今、幅広い年齢層の、また、教育、福祉、医療、芸術などの様々なジャンルの職業の方にもボディートークがお役に立てていることは嬉しいことです。

その中でも赤ちゃんやお母さんに関わるお仕事をなさっている助産師、保健師、看護師の方や幼児教育に携わっていらっしゃる保育士の方などへボディートークをお伝えできていることも大きな喜びです。それは生まれる前からそして赤ちゃんの時からボディートークの視点を身につけていけたら、生きることがもっと楽しく、もっと輝けると思うからです。

あなたがお母さんのお腹の羊水の中に漂っていた時のように、どんな時もまずは、「あなたの生命にこよなくやさしく、あたたかく ふれて包んであげて下さいね」これが私が届けたいボディートークの世界からの最初のメッセージです。