ボディートークコラム

子供の心に焦点を当てて感情を共有

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驚いた子
デパートの出口で見かけた母子の一シーンである。両手に買い物袋を下げた母親が自動ドアの外へ出た。後から四 才位の子供が母親を追いかけて走って行ったのだが、その子供の目の前でドアが閉じてしまった。子供はビックリして立ちすくんだ。そして大声で泣きだした。

声に気付いた母親はすぐに戻ってきたが、「何をグズグズしているの早く来なさい!」と促すものの、子供はガンとして動こうとしない。私は、どうするかな、と思って見ていた。すると母親は荷物を持った手に更に子供の手を掴んで、強引 に引きずっていった。もち ろん子供は泣き叫んだまま、 両足を踏ん張ったままで ある。

こんな場合、母親は子供 にどのように接すればいいのか。まず、子供の息を収め てやることが必要である。ビックリした子供の息は固くなっていて、足はすくんでいるのである。この息を変えない限り、子供は次の行動に移れない。

そこで母親として は、一先ずしゃがんで子供と顔をつき合わせて、「ビックリしたねえ。急にドアが閉まるんだもんねえ」と子供の心に焦点を当て、感情を共有する。そして子供の息が緩んだところで、「さあ、行こう」と立ち上がればいいのである。

もうひとつ、街角で見かけた母子の一コマである。一人の母親が自転車の後ろの荷台 に小さな男の子を乗せて走ってきた。男の子は両手にメンコを持って数えていたが、そのうちの一枚をポトリと落としてしまった。すぐさま子供は母親に「降りたい」と言っ た。「降りなくてよろしい!」と母親はペダルを踏みながら言いかえした。「降ろしてくれえ!」と子供は母親の背中をたたいた。母親は無視して走り続けた。子供の叫び声が遠ざかっていって、呼びとめる間もない一瞬の出来事であった。

その子は母親を恨むだろうな、と私は思う。「降ろしてくれと言ったのに、どうして、 自転車を止めてくれなかったのだ。あのメンコは大事にしてたのに・・・」というのが 子供の言い分。母親は多分、こう返答するだろう。「どうしてメンコが落ちたって言わないの。そうすれば止まったのに。アンタがちゃんと言わないからよ!」と。

子供は客観的に事情を伝える術を知らなかったのだ。しかし、自分の思いだけはしっかりと母親に伝えた。それに対して母親は子供の真剣な声を察知できなかった。またはしようとしなかった。例え察知できないとしても、「どうしたの?」と尋ねかえす、ほ んのちょっとした余裕があれば、と思う。この一言さえあれば子供は「メンコを落とした」と言うだろう。

この二例の母子のやりとりは、日常茶飯事であって、私達も知らず知らずに行っていることである。ところがこの親子の擦れ違いが積もり積もってとんでもない大惨事を引 を起こすことになるのだ。

・ 記憶の方も多いと思うが、埼玉県で起こった悲劇的な事件である。

大学を中退してアルバイト生活をしている二十三才の息子が、その日も母親にコードレス電話を投げつけ、冷蔵庫を引っ繰り返して暴れ出した。母親は父親の勤務先である高校に電話をした。急いで帰宅した父親は台所の出刃包 丁で息子を刺し、母親はモデルガンで息子を殴打して 死に至らしめた。

父親は明るく温厚な評判のいい先生であり、母親も家庭を大事にする人であった。息子もスポーツは出来るし、頭も切れ楽器の腕も抜群で友人受けも良 かった。その家族に何があったのか。

父親も母親も共に息子を大学に進ませるのが最良の道であり、また唯一の道であると信じていたようだ。 しかし息子はプロのミュージシャンになりたいと願っていた。マスコミの記事では ミュージシャンが軽音楽なのかクラシックなのか定かではないが、おそらく彼の場合は ロック・ミュージックかニューミュージックの 分野であったのだろう。

このような親子の対立なら私たちの周りに、 それこそいっぱいある話だが、それがどうして 殺人事件にまで発展したのか。次回に述べるこ とにしよう。

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