ボディートークコラム

天使の声が聞こえる

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無音の中でも鼓膜は振動

パリの教会で「ハレルヤ・コーラス」を聴きました。 ヘンデルが作曲した混声合唱の世界的名曲のひとつ です。音楽好きの叔母に連れられてコンサート会場で初めて、この曲を聴いたのは、小学校の低学年の頃 だったでしょうか。コーラスが始まると聴衆がどんどん立つので、何事だろう、と子供心に深く思ったのを覚えています。

この習慣は、時の国王ジョージII 世が、ハレルヤ・コーラスのあまりの荘厳さに感動をして、立ったまま聴いたことに由来しています。 私が中学生の頃、聖歌隊でこの曲をよく歌ったのですが、やはりほとんどの人が立って聴きました。

中には権威に反発をして立たない人もいましたが、私も聴くときにはどちらかというと立たない方 だったですね。最近では、この習慣も随分薄れてきていて、パリでも立つ人は会場の半分以下で した。

「ハレルヤ」とは神を賛美する言葉です。この言葉を中心にコーラスは歓喜へと高まって行きます。 そして最高潮に達したとき、突然、コーラスもオーケストラもパタッと鳴り止むのです。音楽の用語では G.P.(ジェネラル・パウゼ)と言います。
その直前までは何度も何度も「ハレルヤ」と連呼しますから、歌う側としてハ レルヤの数を数え損ねると大変です。皆んなが一瞬にしてシーンとなるところへ、 間の抜けた声で「ハレ…」と声が出てしまうと、背中にザーッと冷や汗が流れま す。私も一度、この恐怖を味わったことがあります。

そもそもヘンデルは何を意図して、こんなところに G.P.を持ってきたのでしょ うか。私にとっては子供の頃からの謎でしたし、また指揮者たちも合唱仲間も、 誰ひとりとして、この謎を解明してはくれませんでした。

でもパリの教会で聴いて、ハタとその音楽的意味に思い当たりました。

御存知のように、ヨーロッパの伝統的な石造りの教会は異常に天井が高いのです。 中に入って見上げてみると、先端がとがっていくので、気の遠くなる高さに思えます。キリスト教では神様は天上にいると考えましたから、このような効果を強調したのでしょうが、人間の存在が地上に這いつくばって小さく感じられます。

このような教会でポンと手を打ちますと、残響が大きく、また幾重にもエコーがか かります。
ヘンデルはこの残響現象に着目したのだと思います。即ち、地上で「ハレルヤ」 と高く神を賛美し、G.P.で地上の音をバタッと止めると、その声は教会の上へ次 々と舞い上がって行きます。そして最後に、天井の最も高いところから秘そかに「ハ レルヤ」と天使の声が響きます。

パリの教会では、私の耳には本当にそのように聴こえたのです。だからオーケス トラの人もコーラスの人も会場の聴衆も、耳を澄まして天使の歌声を聞く瞬間が、G.P.の素晴らしい表現だと思います。そして、その至福の声を聞き届けた時、地上では感極まって「ハ・レ・ル・ヤー!」の大合唱で終わるのです。

もうひとつ大事なことは耳の鼓膜はいつも微妙に振動 しているということです。聞こえるか否かの小さな音でも鼓膜を共振させることで増幅し、音を大きくして聞くことができるためだと思えます。

また反対に聞きたくない音や、嫌な人の声の振動を、それとは逆方向に鼓膜を
振動させることで、音量を弱めることもできるのです。 年寄りが自分に都合の悪いことは聞こえなくて、家族がヒソヒソ話をするとしっか り聞いている、といういわゆる地獄耳は、このような鼓膜の働きからくるのでしょう。

バイオリンの演奏などで、静かに弓を奏き終わっているのに、聴いている人の耳 には音が響いているという経験はありませんか。これは幻聴ではなく、実際に鼓膜が振動しているのです。そして、このような振動は自ら作り出すことですから、得も云われぬ美しさとなるのです。

ヘンデルはこのような耳の働きは知らなかったでしょうが、人間の音楽的行為を 一斉にストップさせて天上の声を聴く、というアイデアはさすが天才の為せる業で すし、またハレルヤ・コーラスの中で、このG.P.こそが核であると、私は思ってい ます。

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